8月15日2016/08/15 22:09

ちょうど診療所にいたので正午の黙祷ができた。

私はいわゆる「戦争を知らない子どもたち」であるが、しかし戦争の跡は知っている世代である。造兵廠の空爆跡をはじめ、盛り場や神社仏閣で白衣の傷痍軍人が物乞いしているのは日常的な景色だったし、不発弾処理は珍しくない、防空壕が遊び場だったり、映画館では必ず舞鶴港での引き揚げ船のニュース映画が流れていた。

しかし、それほどつらい経験をしていない私は、戦争の跡くらいしか語り継ぐものはない。

亡父は、従軍していたときのことをほとんど話さなかった。亡母は、青春時代を大阪市の湾岸部で過ごしたはずだが、早々に郡部に転居して激しい空襲に遭ったことがなかったらしい。

気のせいか、今年は終戦記念日前後にもかかわらず、メディアはオリンピックばかりになっている。こんなことでは2020が心配である。