阪神淡路大震災の日に思う2017/01/17 22:30

22年前はまだわたしも若かった。だから発災から時間を経ずに勤務先の病院に向かった。すくなくともわたしは足手まといになるとは思わなかった。当時はまだボランティアという言葉も一般的ではなかったし、医療の支援も組織的ではなかった。すでに在宅医療をしていたが、ひとりで淡々と患家の無事の確認をした。

6年前の東日本大震災では、阪神淡路などの経験から次第に確固としたものになっていた医療チームが活躍したし、組織的にボランティアも活動した。しかし、医学部や大手病院が組織する救命救急のDMATはおろか、医師会が主導する医療の後方支援のJMATにさえわたしは手上げできなかった。気持ちはあったが自分の体力を考えるとかえって迷惑をかけると思った。かつてのアウトドア大好き人間も、その後の堕落で安楽椅子人間になってしまっていたのである。

いまもし阪神淡路クラスの災害があったら、地元での活動はなんとか頑張れるだろうが、それ以上のことはやはり無理だと思う。

白浜にいるときに南海トラフ地震/津波が起きたら、医療者としてできるかぎりのことをするつもりだが、しかしまもなくわたしはまた誕生日を迎える。なにができるのだろうか。