大阪環状線2017/10/11 21:45

関西テレビで「大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語」という地味なドラマをやっている。

ところで。

先日、10月3日に、48年間大阪環状線を走ってきた103系車輌が引退した。103だから10月3日かぁなるほどなあというのはともかく。

http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/10/page_11243.html

1961年4月に西九条から西回りで天王寺まで開通して大阪環状線ができた。それまでは大阪から東回りで天王寺までの城東線(大阪城の東を走るから)と、大阪から桜島までの西成線(西成区とは縁のない路線がなぜ西成線かと子どものころから疑問だったが、旧西成鉄道の名称を継いだ—その名称は明治期の西成郡からきているとのちに知った)、それに今宮からの大阪港貨物線(関西本線貨物支線)があった。大阪環状線と桜島線に再編された。

環状線にはなったが、じっさいに環状に電車が回るのは西九条駅の高架化が完成した1964年3月。それまでは、西九条-天王寺-京橋-大阪-西九条(地平)-桜島の「逆『の』の字」運転だった。わたしが高校に入学したのが1964年だ。そのころは101系が配備されていたが、101系はもともと駅間距離が長い中央本線に向けて開発された車輌で、大阪環状線のような駅間が短い路線では加減速のロスが多いと指摘されて、1969年から103系に置き換えられたのであった。

1969年はわたしが奈良県の大学に阿倍野の自宅から通っていたころである。鶴橋乗り換えで近鉄大阪線で大和八木まで(ついでながら、そのころは近鉄2200系の宇治山田急行6連が通学用だった)。

103系はわたしの青春の後半から社会人、さらにはリタイアぎみまで並走した仲間ということになる。その103系が大阪環状線から消えた。103系から、おまえも早よう引退せえよ大きな体調不良にならんうちにな、と言われているような…。

祖父が、城東線を「省線(電車)」とつねに言い、父が「省線でなく国電とは言いにくい」と言い、わたしが「JRになったらなに電と言うたらええのか」と思ったのが大阪環状線である。

323系はいま風すぎてなんとなく違和感があるのだがなあ。