地震—阪神淡路の記憶2018/06/18 23:04

長文になるが、大きな地震があったので備忘のために。

最近は朝のフレブル恬のお散歩は相方がしているのだが、今日はたまたまわたしが早く起きたし相方が寝不足らしかったので、7時半すぎからわたしが連れていった。ぼつぼつ小学校の集団登校や中学の登校の子たちがいて、フレブル恬も子どもたちにいじられながらやや蒸し暑いが風があって涼しげななかお散歩をすませた。

帰宅してフレブル恬は足を洗うため相方が風呂場に、わたしはそれでも暑くてシャツとパンツを脱ぐために寝室へというタイミングで少し強めの初期微動と間髪いれずのタイミングの突き上げるような本震。ほぼ同時に緊急地震速報のアラームが鳴り響く。本震はたかだか10-15秒くらいの短時間であって、東日本大震災のような長い揺れでなかったのが幸いだった。しかしこの短時間だが突き上げるようなという揺れは、23年前に箕面市で経験した阪神淡路大震災のそれを思い出させた。

直下型地震の特徴だと思った。初期微動から本震までほとんど時間がなかったのと、緊急地震速報が本震と同時くらいだったことから。スマホの速報で震源が大阪府北部とすぐに分かった。わが家は食器棚の上にいた小さなぬいぐるみが落ちたくらいだったが、震源からして娘夫婦のマンションが心配で、すぐに7時59分にLINEで安否確認。8時00分に婿殿から無事の返信。テレビのインタビューで電話が繋がらなくてなどという人たちがまだおられたが、こういうときは複数のチャンネルでの連絡だというのは、これまでの災害で実証されている。

LINEでのとりあえずの人身の無事確認ができた、しかしおそらくマンション上階の娘宅では室内の被害はたいへんだろう、婿殿のお店はだいじょうぶだろうかとつぎの心配がよぎる。しかし、ふと、ひとごとではない。わたしも診療所があって、そこはいろいろ散乱しそうな要素がいっぱいあると気がついた。あわてて行ってもしかたないので、もともと予定していた時刻に出勤。

同じビルで1月に開業したDr.は地震の時にはもう出勤していたという。揺れましたよぉと、もともとあまり感情を表に出さない彼は平然と言うが、ビルは鉄骨造りで前の県道を重量車が走っても揺れることがあるくらいの建物なので、けっこう激しかったと思う。で、診療所も軽くて不安定に置いていたものが数点落ちているくらいでたいした影響はなかった。

訪問診療先のお宅もとくに被害はなかったようで安心。帰ってからワンセグテレビをかけたまま仕事をしていたが、すこしづつ被害が明らかになってくる。ただ、都市部の直下型であったわりには、被害が少なかったのはじつに幸いであるが、命を落とされた、小学生の女の子を含む3人のかたはほんとに気の毒だ。

わが家は阪神淡路大震災からずっと減災のための対策をつづけてきていて、家具はほぼないし、本棚は物置の中。倒れても物置の中で完結ということにしている。

わたしが恐れているのは、危なっかしい室内になっている患家に訪問しているときに被災することである。往診カバンには警笛を携えていたりする。

しばらくは警戒モードである。

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