防災の日2018/09/01 21:06

今日は防災の日ということで各地で訓練などがおこなわれていたようだ。

むかしは「二百十日」「二百二十日」と言って、そのころには災害が起きやすいのだとされていた。学校でも習ったはずだ。いつのまにかその言葉が消えて「防災の日」になっている。

昨夜、NETFLIXの映画をChromeCastで見ていて(ちなみにタイトルは「先生と迷い猫」)遅くなったので、のんびりと朝寝していた。上空でほぼ持続的に雷鳴があってうるさくて寝ておれず、9時過ぎに起きてfacebookを見ると、近辺で大きな交通事故発生と古賀浦でのプレジャーボート沈没の書き込みが…。交通事故のほうはFBFさんが当事者ではないがまさに第一通報者だったようで、たいへんな経験をされたようだ。

おそらく白浜町消防署は防災の日の訓練どころではないバタバタだったにちがいない。交通事故では負傷者多数で隣接自治体の救急隊の応援も要請したようだし、港ではオイルフェンス設置と吸着剤の配置が消防隊によってなされていた。もちろん白浜警察署と田辺海上保安部も出動している。

一日ずっと不安定な天候が続いていたが、午後から庭の台風対策、相方は草刈りや畑の整理をして過ごす。夕刻に船に係留ロープ2本を追加して、やばそうな台風21号になんとか耐えてもらうように祈る。

嵐の前の静けさの夜。

大渋滞2018/09/02 23:47

南紀白浜空港開港90年ということで記念のブルーインパルス展示飛行があった。

10時45分から20分間くらいということだったが、わたしは9時半ごろまで寝ていた。見物場所はそもそもの会場とされた白浜がベストだが、そんな簡単に行って車を置けるわけもなく、番所山公園に近い海岸に行こうと決めていた。

30分ほど前に行ったときは、まだまだ車も人もほとんどいない。ほんとにここから見られるかなと相方は心配していたが、レッドブルの室屋さんのときと違ってジェット戦闘機(正確には練習機かな)である。空域と高度はぜんぜん違うはずと確信を持っていた。

結果的にはよく見えたので大満足である。終わったのですぐに車を出して朝昼兼用のために「まんまてんや」さんへ。まだ道路はスムースだった。

午後からは空港でのイベントもあるが、そのころから町内の道路の大混乱の情報がfacebookに上がってきた。「まんまてんや」さんの常連さんが駐車場から出られないとの書き込みも。

そして、もともとは午後の遅いめから宝塚に戻る予定にしていたのだが、15時を過ぎても下の浜の道路は渋滞。斥候してみたら町から出る経路はどこも大渋滞の様子である。それでもすこし流れ出したので16時すぎに出発してなんとか田辺市で買い出しをしたあと、阪和道がすでにひどく渋滞していたので国道42号線、現地では「下道(したみち)」と言われるほうを走る。そちらもなお印南町を出るまではノロノロであった。

白浜の家を出てから買い物時間を除いて約5時間。ひさしぶりの大渋滞に参加してきたのであった。

明日の仕事はどうしよう2018/09/03 22:01

強い台風21号が確実に近畿にくる。20号は深夜に通過したが、今回はまるまる昼間だ。JRははやばやと10時で運転やめると発表した。それによって休業する企業、店舗が続出しそうだ。

火曜日はほぼ一日予定が入っている(ふつうはそうや、というツッコミはともかく)。台風の動きを見ながらではあるが、午前中の訪問診療は予定どおりに行こうかと思っている。

午後の川西市介護認定審査会は夕方に担当者に連絡して中止することになった。市職員さんはこういうときは出務しなければならないから(ご苦労さまです)問題は外部から参集するわれわれ委員の安全である。事故があっても市によって業務災害の保障がなされるのか(医師会委員はたしか医師会で保障がされているが、個人として委嘱されているかたも複数おられる)。

保障の有無より、事故があっては合議体長としてもうしわけない。

15時前からは有料老人ホームの訪問診療だ。予報ではまさにいちばん接近するはずなので、これも明日の朝に判断して水曜日に延期することになりそうである。

なんとかひどいことにならないように…。

台風21号から思う備忘2018/09/04 22:43

じつに予報どおりに走り抜けた台風だった。だれかが遠隔操作しているのではないかと思ってしまうほど、四国沖から室戸岬をかすめて大阪湾に入り若狭湾に抜けるコースは予想のとおりだった。

大きな台風として記憶に残るのはふたつだ。1959年の伊勢湾台風のときは小学4年生で八尾市にいた。1961年の第二室戸台風は小学6年生、5年生のときに転校して大阪市阿倍野区が住まいだった。

伊勢湾台風は夜間に最接近したので、長い時間の停電のあいだ茶の間の食卓に置いた大きな蝋燭を家族5人が囲んで過ごした記憶が残る。第二室戸台風は昼間に阪神間に上陸したから、昼間なのに雨戸をしっかりと閉めて息を潜めていたのを覚えている。男3人兄弟だったので、父が建てた鯉のぼりの竿が倒れて悲しかった。

おそらく弟たちはあまりそれらの記憶はないと思う。つまり関西で巨大台風の語り部になりそうな最後の世代であるわたしたちももう70歳になるのである。だから第二室戸台風みたいと思ったとき、じつはかなり緊張していたのだ。わたしより若いかたは第二室戸といわれてもピンとこなかったのではないか。

伊勢湾台風では高潮被害で名古屋で大きな人的被害を出したので有名だ。第二室戸台風でも高潮で大阪市のかなりの面積が冠水した。地下水汲み上げで地盤沈下していたことも原因のひとつだが、それがきっかけで大阪市の高潮対策が整備された。

だから今回の台風が第二室戸台風のときより潮位が高くても激甚被害にはならなかったのだと思う。関西国際空港が冠水したり大阪港でコンテナが流出する被害はあったが、人的被害がほとんどなかったのは幸いだった。

これだけの強い台風なのに人的被害が少なかったのは、やはりこの国の災害に対する対応が格段によくなっているからではないか。地震や津波と違ってあるていど予測できる災害に対する対応は半世紀前とは比較にならないほどよくなっていると感じるのである。

それでも突発的な大雨や想定外の災害についてはまだまだ減災の余地があると思われる。ちょうど7年前の9月3日から4日にかけての平成12年紀伊半島大水害は、想定外の大災害への対応を見直すきっかけになったと言えるかもしれない。

その紀伊半島大水害に関する日記をあらためてリストアップしておきたい。
http://wando.asablo.jp/blog/2011/09/04/6087981
http://wando.asablo.jp/blog/2011/09/05/6088915
http://wando.asablo.jp/blog/2011/09/05/6089656
http://wando.asablo.jp/blog/2011/09/07/6091478
http://wando.asablo.jp/blog/2011/09/14/6103309

近づいて急に加速して駆け抜けていった21号の影響がほとんどなくなった静かな夜、関西国際空港の大きな被害をはじめとして交通機関の停止、停電やネット回線の不通、あちこちでハードウエアの損傷などがあるものの、人的被害が最少ですんでよかったと伊勢湾台風世代のロートルは胸をなでおろしているのだった。

ライフライン2018/09/05 23:35

いろいろあるが、電気。

台風21号の影響で近畿地方で阪神淡路大震災のときをうわまわる停電が発生した。関西電力は全国の電力会社や電気工事業者を総動員して復旧にあたっておられるという。じっさい、まだまだ停電のままという地域も少なくないが、早々と悪球した地域も多い。

わが家ではさいわい台風まっただ中になんどか瞬断があったが、停電にはならなかった。診療所も白浜の家もだいじょうぶだった。しかし、昨晩からわが家のケーブルテレビ回線が不通になった。集合住宅では水道が使えなくなっているところも多いという。関空では停電してから携帯電話も繋がりにくくなったという。

要するに電源を失うと機能不全になるインフラがきわめて多いということである。

もっと大きな災害や、テロが起きたら、この国は一気に機能喪失するのだなと痛感することになった。スマホの電源をソーラーを利用して確保していても、携帯電話の中継局の電源がなくなればスマホは単にシステム手帳だ。

車か。わたしの車は最後はガソリンが必要だ。

ニッサンリーフのような電気自動車なのか。でもバッテリーが空になったら終わりだ。

何年か前の「鉄腕ダッシュ」で全国を走った「ソーラーカー」か。いまならもっと効率のよいソーラーパネルがありそうだ。

ソーラー+風力のシステムでもまじめに考えるかねえ。

ライフライン(2)2018/09/06 22:36

深夜に緊急地震速報の音が鳴り響いた。わたしは私用と公用のiPhoneを枕元に置いているし、相方もiPhoneを持っている。どれにもWeatherNews社のアプリを入れているので、国内で震度5以上の地震が起きるとアラームされるのだ。そしてわたしの私用には別の緊急地震速報のアプリもインストールしている。午前3時すぎにワンワンとアラームが同時多発連発したのである。

北海道で強い地震が発生したことはその場で認識した。震源がよくある釧路沖あたりでないのが気になったが、睡魔に負けて寝てしまった。

朝、情報収集すると、もちろん地震そのものによるひどい状況が報じられていたが、それよりも苫東厚真火力発電所に関連してなんと北海道全域が停電というニュースに戦慄した。昨日書いたばかりではないか。

> 要するに電源を失うと機能不全になるインフラがきわめて多いということである。

その電源を大きな北海道まるごとで失った…。

関西では台風21号で電柱が倒壊したりして各所で停電しているが、北海道の停電はそれとはまったく違う原因である。

そうか、北海道を機能不全にするには、深夜に苫東厚真火力発電所の破戒工作すればいい。その闇のなかで長い海岸線からわらわらと上陸すれば北海道を占領できるかもしれないと考える侵略国がないとは限らない。

なんと危機管理の緩い国だろうか。

スマートフォンの電池がなくなると言って右往左往しているかたがたと、この国の基幹産業は変わらないのか。わたしのような高齢者でも、商用電源のないことを想定してつねにバッテリーは持っているし、車の電源からUSB電源を取り出せるようにしてあるし、車の窓際に小型ソーラーパネルで充電している電源を持っている。バックアップ三段である。

個人でできるライフラインを確保しておかなければならない時代になってしまった。

テレビ、すごいですねえ2018/09/07 23:22

テレビが、壊れた。

新しもん好きのわたしなので、宝塚のマンションのテレビは、大画面テレビの走りであったAQUISの超初期型。HDMI端子などなかった37型。そもそもそこに引っ越したときには、それまで住んでいた池田の賃貸マンションで使っていた超初期のAQUOSだった。さすがに部屋が大きくなったので買い換えたのである。ちなみに、超初期のAQUOSはまだ手元にある。

なにかの用件で家電量販店に行くと、テレビ好きのわたしはつい最新の4Kテレビとか見てたが、わが家には勤続15年のAQUOS君がいるからなあとあきらめてきたのだった。そのAQUOSくんが、台風21号の喧噪がすこし落ちついた昨夜、突然亡くなったのである。LC37-GD2という機種であった。

http://www.sharp.co.jp/support/aquos/doc/lc37gd2_ope.pdf

HDMI端子などなかった時代のヤツである。

後継機を探しに梅田のヨドバシカメラに行った。事情を説明すると、テレビの標準的な寿命は6-7年なので、15年って長生きですねと言われてしまった。

そうだったのか。

で、ずーっと、白浜のテレビも含めて、わが家のフラットパネルテレビはAQUOSなので、こんどもAQUOSにした。最新の43型4K対応。阿倍野の本社ビルがなくなって、台湾企業に売られたのは寂しいが、阿倍野に思い入れのあるわたしとしてはやはりシャープさんを応援したいしね。

それにしても最新のテレビ。FBFさんがご指摘されたように、ほとんどPCなんやというのを痛感した。メーカーさんも差別化するのには苦労なさっているだろうな。

明後日に届くのが楽しみだが、わたしの診療所と同じくらいの時間わたしたちを楽しませてくれたLC37-GD2さんに感謝したい。

在宅医療の講演会2018/09/08 23:32

川西市医師会でお隣の医師会のドクターを招いて在宅医療の講演会を開催した。

講師の先生にはもうしわけないくらい、オウディエンスが少なかった。ほんとうに聴いてほしい会員はきていない。在宅医療に向き合っている者が参加していて、けっきょく在宅医療の啓蒙にはなっていない。

在宅医療のテーマに限らず、たいていの勉強会では聴いてほしい人は参加せず、聴かなくてもだいじょうぶな人たちが集まっている。

悲しいが現実。

あまり言いたくないが、旗を振っても踊らないのはどの世界もいっしょだ。