地下鉄の踏切2025/02/25 22:25

小学校高学年から大学まで住んでいた近くに、地下鉄の踏切があった。現在の御堂筋線、当時の1号線の車庫への引き込み線であった。いまその車庫は阿倍野区役所になっている。

地下鉄はあびこ筋の地下を走っていて、わたしの記憶では地下鉄の蓋?の部分だけが舗装された道路だった。古い写真では蓋?はなく、道路のまん中が掘割のようになっていたようだが、その景色はわたしの記憶にはない。

踏切は通称杭全(くまた)街道を横切っていた。通っていた小学校には東分校というのがあった。本校と東分校の間に、地下から上がってくる線路があって、行き来には遠回りしなければならなかった。

団塊世代のために学校もたいへんだった。6年生のときは60人学級が14クラスあった(ちなみに中学3年のときは60人で25クラスだった)。その世代がいまや後期高齢者になだれこんでしまった。

杭全街道を遮断して地下鉄車両が入庫するようなのどかな景色が、60年ほど前には大阪の都心で見られたのである。

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