乱開発の町2017/09/21 23:57

川西はかつて農地と里山の村だった。

高度成長期に里山は切り開かれて住宅地になり、農地はモザイク状に転用されて、農道のまま分譲宅地や文化住宅が密集した。道が狭いのでその周囲はやはり転用農地が駐車場になった。建売住宅や駐車場を縫う農業用水路を勢いよく水が流れる。

住宅地は高齢化し空き家が目立つようになったが、いまや家や土地はなかなか売りにくくなっている。

転用農地に密集した住宅に囲まれた元々の農家でも高齢化や独居が進んでいる。

中心市街地にかつてあった商店街は壊滅して、隣の駅にも同じようなものがあるテナントビルとマンションばかりが目立つ。しかしそのテナントビルでも客の高齢化があっておしゃれな店が減りシャッターが目立つようになってきた。

川西だけではなく、とくに都市近郊の町では同じような景色がみられているのではないだろうか。

珍しくシラフでBlueRay「この世界の片隅で」を見た。この映画の舞台のたいへんだった時期からから、そのあと激しく浮かれていろいろと散らかしてしまったこの国が、いまやこんなことになってきたことに、ほぼその時代を生きてきたわたしはやや呆然とするのである。どこで間違ったのだろうか。

しんどくても収支はとれる2017/08/01 22:41

ちょっと今日はタイトだと思っていて、眠りが浅く早朝覚醒して悶々と朝を 
むかえた。わたしにしては珍しい夜だったのだが、でもべつにそれは引きづらないのがわたしの能天気なところである。

おそらく換算して4時間ほどの睡眠だったと思うが、まあ収支はそのうち合わせればいいのだ。

仕事中はちょっとだるくて、さすがに年には勝てないかなと感じたものの、それでも19時過ぎまで仕事をしてそのまま「うなぎ処きし」さんへ。懇意の常連さんご夫妻がこられて22時近くまで楽しい時間を過ごして帰宅したのである。

シャワーを浴びて完全復活。さて、もう一杯やるかと思うにわか独居の夜。

健康診断2017/07/26 23:00


市医師会の健康診断の結果が送られてきた。

わたしはもう「飲酒」に関わる異常所見がずっと続いているのでとくに気にならない。異常所見がとくに大きく変化しないのが健康の証しである(ということにしている)。尿酸値も高いが最近は痛風発作は出ていない(とはいえ、脱水傾向になる夏場は要注意である)。

今回初めて心電図での軽微ながら異常が指摘された。器械の分析のものだと思われるが、要心エコーとされたので、循環器の専門家であるかかりつけ医にいちおう相談しようと思う。

相方も大きな変化はなく一安心である。

一般の健診よりかなり検査項目が多くて、日帰り人間ドックていどの項目をチェックしてもらっているのですこしは安心できる。もっとも医師国保の財源難で年々オプション検査の自己負担額は高くなっており、今年は万を越えた。それでもそれでかなりのチェックができているのはありがたい。

来年もまた異常なしになるようにがんばる。

海水浴は堪えます2017/07/23 21:09

朝から3時間ほど浜に行った。とはいえ、ほとんど荷物の番をしていただけなので、水に入ったのは数十分もない。それでも正午すぎに帰ってきて後始末をしているともうヘトヘトなのである。

午後から田辺に買い出しに行っても身体がほてってしんどい。夜はテラスでバーベキューのまねごとをしたあと、風呂に入ったら膝から下が真っ赤に焼けていた。ひごろから船で釣りをするので手は焼けてもだいじょうぶだ。釣りのときは夏でも長袖のTシャツに長ズボンだから、焼けるのは手だけ。下腿が日光に晒されたのはひさしぶりだ。相方はわたしよりひどく下腿が焼けている。

つぎからは上半身と同じように下半身も水着のうえにタイツ型のUV対策衣料を着なければならないと痛感。

海水浴は浜にいるだけでもかなり堪えますわ。

朝の涼しいうちに宿題しなさい2017/07/13 23:37

この時期になるとときどき思い出すのである。

昨日も亡父の法要に行った慈願寺さんのすぐ近くに小学校4年生まで住んでいた。いったん発展していまはまた下降線になっている多くの街と同じく、半世紀以上前のおもむきはほとんどないが、しかし道の配置には大きな変化はないので、ついその小学生のころを思い出すことがある。

おそらく今より真夏でも涼しかったと思うが、それでも夏休みは暑い日々だった。クーラーなどというものは、都会の大きなビルや百貨店くらいにしかなく、音の大きな扇風機や、店舗では氷柱を置いてあったりしたころ。そういえば家の並びに氷屋さんがあった。冷蔵庫が電気式ではないので、氷屋さんが冷蔵庫用の氷を配達したりしていた時代だ。

で、夏休みになると母にたたき起こされるのである。

「早く起きて涼しいうちに宿題しなさいっ!!」

『夏休みの友』が必須の宿題だった。中身は忘れたが毎日コツコツと開いて書くような内容だったと記憶している。それをわたしは夏休みのはじめのほうに一気にやってしまって、あとのほうは遊ぶ。そのやりかたはまもなく古希のいまでも同じようにやっているように思える。

親の躾や教育はたいしたものだと思う。

祥月命日と誕生日2017/07/12 22:54

明日7月13日は亡父の祥月命日、2000年に亡くなったので、もう17年もたつのか。そのころわたしは51歳。まだまだ元気やったなあ。父は仕事ほぼ現役で亡くなったので、通夜葬儀では数百人のかたがお悔やみに参列してくださって、高齢の母に代わって若輩のわたしが喪主代理を務めたことを鮮明に覚えている。

今日は1日早いのだが、お寺で法要をしていただいた。年に一度、父を偲ぶ行事はできるうちはしようと思っている。

そして、明日は、その戌年の父の生まれ変わりかもと思うフレブル恬の誕生日でもある。13歳になる。フレンチブルドッグとしては長寿になるのではないだろうか。しかも変形性脊椎症はあっても内科的には問題なく誕生日を迎える。ちなみに、そのフレブル恬がわが家にきたのは、新潟県中越地震がおきた2004年10月23日だ。

お寺での法要のあと、同じ市内にあるお墓に参る。ちょうど正午近くになっていて、いやはやこの時期の霊園にこんな時間に行くものではない。法要のためにスーツにネクタイのままお墓に行って草ひき。あかん、危ない。

早々に退散していつも立ち寄る道の駅でランチ。

帰宅してから職場に出向いて事務処理をする。

疲れた。

阪神間に乗る2017/07/10 21:06

県医師会の会議に出席するため午後からJRで三ノ宮へ出向いた。

前回の会議が市医師会のそれとバッティングしたので欠席したために、4ヶ月ぶりくらいの三ノ宮行きである。

県医師会には必ずJRを使う。川西池田駅前に車を置いて、尼崎乗り換えで新快速だ。新快速にこだわるのは、早く着くからではなく、新快速が列車線(*1)を走るからである。列車線だとちょっとした旅行気分になる。

高校のころはよくこの線に乗った。当時は国鉄。まだまだ旧型のチョコレート色の電車(*2)、新快速はもちろんなかったが、いわゆる「急電」の時代は終わっていた。勾配が前後にある甲子園口駅では旧型国電はしばしばオーバーランしバックでホームに戻っていたが、そんなことがニュースになるような世知辛いことはなかった。

そして、半世紀の時と阪神淡路大震災を経て、東海道線の沿線の風景は激変した。そもそも東海道線ではなく神戸線などと言われている。しかし、山はほとんど変わっていない。尼崎を出てしばらくすると武庫川を渡り、わたしの好きな甲山(かぶとやま)が見えてくる。お椀を伏せたようなきれいな山体。

そのあと六甲山脈がずっと続いて、布引が見えてきたら三ノ宮。なじんだ景色だが、スマホを見たり読書したりすることなく、いつも車窓の景色に見入っている。

並行している民鉄がある。阪急神戸線は山に近すぎるし、阪神本線は遠すぎる。やはり東海道線がいい。

(*1)京阪神間のJRは複々線で、外側が列車線、内側は電車線。普通と快速は電車線を走るが、新快速や特急、貨物列車は列車線を走る。
(*2)わたしがいちばんなじんでいたのは、40系
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8440%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
だったか。

段取りの組み立てが…2017/06/22 22:04

午前中からの訪問診療はとくに問題なくきちんと順序立てて回ることができた。件数がすこし多かったので、正午を大きく回ってしまったが、そんなことはよくあることだ。

いちど診療所に戻って、午後からの用件のために再出発したのだが、それらを終えてじつはなんという段取りの悪さだったかと反省している。ちょっとボケてきたのではないか、なんと無駄な動きをしてしまったのか。

何軒かの患者さんに居宅療養管理指導をお願いしている薬局が2軒、医師会、市役所の福祉事務所、川西警察署、車のディーラーを回るのだが、途中で忘れ物をしたり、あとで思い出して同じ行き先に二度行くことになったり、時間切れしそうであわてなくてはならなかったり、ほんらいは木曜日の午後はけっこうゆとりの時間なのに仕事を終えたのは17時近くになっていた(早いやないかいなということはさておいて)。

最短の移動で最小限の時間で行動する段取りを組み立てることにはそれなりの自信があったのだが、その自信もちょっと崩れそうになった一日。