ぼけてんねんや2017/11/20 22:29

今日、仕事の訪問の移動中に、今日の日記のアイデアが浮かんだのだ。たしかに。

で、それを覚えておいて書くのだっと思っていたのに、忘れた。キーワードだけでも覚えていれば想起できるのに、そのキーワードさえ忘れた。こういうことがあると、認知症の始まりではないかと、心配する人たちがいるのだろう。

認知症では、昼にそういうアイデアが浮かんだことさえ忘れる。そこが病気かどうかの違いである。

それでも最近はしばしば「ぼけてんねんや」という場面が増えている。書店で本を買って一万円札でおつりをもらうことに集中していたら、買った本を受け取るのを忘れて店員さんに呼び止められた。医師会の大事なイベント。診療所の出入り口にポスターを掲示していて11月11日だと視野に入っていたのに、スケジューラに登録し忘れていただけで失念してまさかの無断欠席。情けない。

ぼけてんねんから忘れてはいかんと厳重なスケジューラ登録していると、それで安心してしまった。そもそもスケジューラに登録し忘れという「ぼけてんねんや」を防ぐにはどうすればいいのか。

つらいのぉ。

鼻アレルギー?2017/11/04 21:10

夢見がちと悪かったが体調はまったく悪くないのに、朝から異様に鼻水がでる。まさに水のようにでる。午前中、川西市・猪名川町在宅医療・介護連携支援センターの連絡会に出ているときも、それがすんで診療所に行って雑用をこなしているときも、帰宅してだらりと本を読んだりしているときも、ずっとティッシュペーパーを横に置いておかなくてはならなかった。

鼻風邪用の感冒薬があったので午後3時ごろと夕食後に服用して、抗ヒスタミン剤が入っているからかいまは落ちついた。

風邪ではなさそうだし眼も痒かったので、おそらくアレルギーかと思うのだが、なんのアレルギーなのだろうか。数日前からPM2.5がそこそこの濃度になっていはいる。だがそれなのか。

いまもまだすこし眼が痒い。

珍しく低血糖を経験2017/11/02 21:35

午後からの集団的個別指導に間に合わせるために、午前の訪問診療の時間帯を早くしたり都合のつく患家は昨日に変更していただいたりしたが、それでも川西池田駅に着いたのは「もうすこし遅くて次の電車になると遅刻かも」という時刻であった。あせったのは、いつも入れる立体駐車場に無情な「満車」の表示があったこと。さいわい向かいのタイムズパーキングに1台だけ空いていたのでなんとか間に合った。

快速大阪行きで尼崎、バタバタと乗り換えて新快速姫路行きで三ノ宮、そこそこ長い乗り換えアプローチで神戸市営地下鉄西神中央行きで県庁前。長い階段を上って兵庫県民会館に15分ほどの余裕で着した。川西池田で1本遅れると会場着が開始時刻ギリギリということを「乗換案内」アプリで把握していたのである。

そこから古い県民会館のホールの椅子に座って90分。監督官庁からのご指導を受けて15時ちょっと前に義務出席を終了。往路と逆のルートで川西に向かうが、非常に足が重い。身体がだるい。考えてみたら朝食の量がちょっと少なかったのかもしれない。にもかかわらずかなり動き回ったので、低血糖かもしれない。

尼崎駅の構内で立ち食いうどんの店を横目でみつつ、しかし根性で帰宅。

ああしんど。

低血糖とはこういうものか。昼ごはん原則なし生活なのでタカをくくっていたが、朝食量の不足と電車移動乗換の負荷でいつもより消費してしまったらしい。

早めの夕食でのガソリン補給(笑)と摂食で一気に体調は回復したのであった。

日本の歴史2017/10/27 21:08

いまになっていろいろと考えてみると、わたしはなんと日本の歴史について無知なのかと情けなくなる。

若いころに得た知識は、知識というより断片的なキーワードばかりであって、現場のできごとの連続とその結果が教科書的な歴史になるということに、恥ずかしながらいい年になってやっと分かってきた。

自分のたかだか70年弱生きてきたなかで、古いものは歴史になっていることに気づき、ではそれは唐突にキーワードだったかというとそんなことはない。いろいろなものが複雑に絡み合いながら経過してひとつの大きなできごとになったということを実感的に経験していると確認できている。

熊野の本を読んだり、ちょっとブームらしい応仁の乱の本を読んであまりの複雑さに眩暈しそうになったりしながら、あらためて歴史のおもしろさに遅まきながら目覚めそうである。

そういえば、今回の突発解散とそれに伴う政党の浮き沈みも、後世の近代史には取り上げられることになるのだろうか。

理解力と記憶力が衰えていない若いうちにもっと勉強しておけばよかったとしみじみ後悔する秋の夜長なのである。

安全装置2017/10/20 21:15

ここしばらくテレビではドライブレコーダの話題が続いている。東名高速での事件がきっかけになって、がぜんドライブレコーダが注目されているようだが、わたしの管理する車は10年近く前から順次装着していて、いまは娘のところのも含めて4台すべてが装備している。

さいわいにもそれが役にたったという場面はいまのところない。

今夜のニュースで、高齢ドライバーによる踏み間違いと思われる暴走事故がまた報じられた。

わたしの車は購入した翌年からToyotaSaftySenseCが装備されるようになったので予防安全ができていない。つぎの車検(5年目)は再来年で、予定している買い換えではもちろん装着車を選ぶつもりだ。わたしも高齢ドライバーの仲間に入るわけであることだし。

自動運転はまだちょっと先になりそうなのだが、いま得られる安全は買っておくほうがいいと思っているわけだ。とうぶんはHV+TSSCかな。考えてみればトヨタ車を嫌ってずっと乗ったことがなかった過去がウソみたいなことになっているのだ。オートマ車なんて日和見じゃーとか言っていたケド。

君子は豹変すんのだが何か。 #知らんけど

他の家族のものは日常的によく使うので装着車にすでに替えている。和歌山での町乗り軽四はまだまだ乗るので気をつけて走ろうと思うしかない。

医療・介護連携の勉強会2017/10/19 23:11

当初は医師会主導で立ち上げ、半年にいちどで数十人規模だったた勉強会も途中で行政が運営を引き継いでもう10回目。150人を超える参加者で盛況である。医療職と介護職がフリーディスカッションのワークショップをしてみなさん熱心だ。

川西市は行政と医師会の関係が比較的うまく行っていると、ときどきそれでも外に向けて波風をたてるわたしでも、やはり思っている。

専門職が本気にならなくては危ない事態がもうすぐ目の前にあることを、現場が実感しているにちがいない。なにしろ川西市は高齢化率が兵庫県の都市地域で最悪なのである。市内地区によっては45%にまもなく達するところがある。それは訪問診療で町を走り回っているわたしもじぶんの患家の事情だけでなく見えているのだ。

駅前にある、できたときにはおしゃれなテナントビルだったところも、おしゃれ系の店がどんどん撤退して、薬局チェーン店や百均ショップなどが目立つようになった。最近は1階を入ってすぐのフラワーショップがなくなって、なんと鍵屋さんになっていた。

川西市だけの問題ではないが、高齢化への対策にはかなりバラツキがあるように感じる。政治はだいじょうぶなのかねえ。

降圧剤2017/10/12 21:31

20年ほど前にずっと収縮期血圧が160を超えるようになってきて、友人の循環器科医に相談して降圧剤を服用している。おなじころから高尿酸血症(と痛風発作)があるので、その薬も飲んでいる。

これまで状況に応じてなんどか処方が変更されたのだが、10年ほど前からは同じ処方で安定していた。しかし、昨年くらいから冬の寒い時期にちょっと高血圧ぎみになってきていたので、昨冬からは利尿剤との合剤に変更していた。しかし、今春になってから血圧が低めになってきたので、元のものに変更して夏を過ごした。

9月末から涼しくなって、ちょっと血圧が高い日が続いてので、合剤に変えたのだが、その後また暑くなってここ数日はまたとくに飲酒した夜に低血圧になっている。

なかなかコントロールが難しい。脳出血はいやだが、脳梗塞にもなりたくない。いまのところまだ血圧の変化に対する許容範囲はあるようだが、今後は分からない。いまの合剤は高尿酸血症を悪化させる危険性もある。コントロールのための処方調整はじつに難しい。

大阪環状線2017/10/11 21:45

関西テレビで「大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語」という地味なドラマをやっている。

ところで。

先日、10月3日に、48年間大阪環状線を走ってきた103系車輌が引退した。103だから10月3日かぁなるほどなあというのはともかく。

http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/10/page_11243.html

1961年4月に西九条から西回りで天王寺まで開通して大阪環状線ができた。それまでは大阪から東回りで天王寺までの城東線(大阪城の東を走るから)と、大阪から桜島までの西成線(西成区とは縁のない路線がなぜ西成線かと子どものころから疑問だったが、旧西成鉄道の名称を継いだ—その名称は明治期の西成郡からきているとのちに知った)、それに今宮からの大阪港貨物線(関西本線貨物支線)があった。大阪環状線と桜島線に再編された。

環状線にはなったが、じっさいに環状に電車が回るのは西九条駅の高架化が完成した1964年3月。それまでは、西九条-天王寺-京橋-大阪-西九条(地平)-桜島の「逆『の』の字」運転だった。わたしが高校に入学したのが1964年だ。そのころは101系が配備されていたが、101系はもともと駅間距離が長い中央本線に向けて開発された車輌で、大阪環状線のような駅間が短い路線では加減速のロスが多いと指摘されて、1969年から103系に置き換えられたのであった。

1969年はわたしが奈良県の大学に阿倍野の自宅から通っていたころである。鶴橋乗り換えで近鉄大阪線で大和八木まで(ついでながら、そのころは近鉄2200系の宇治山田急行6連が通学用だった)。

103系はわたしの青春の後半から社会人、さらにはリタイアぎみまで並走した仲間ということになる。その103系が大阪環状線から消えた。103系から、おまえも早よう引退せえよ大きな体調不良にならんうちにな、と言われているような…。

祖父が、城東線を「省線(電車)」とつねに言い、父が「省線でなく国電とは言いにくい」と言い、わたしが「JRになったらなに電と言うたらええのか」と思ったのが大阪環状線である。

323系はいま風すぎてなんとなく違和感があるのだがなあ。