海水浴は堪えます2017/07/23 21:09

朝から3時間ほど浜に行った。とはいえ、ほとんど荷物の番をしていただけなので、水に入ったのは数十分もない。それでも正午すぎに帰ってきて後始末をしているともうヘトヘトなのである。

午後から田辺に買い出しに行っても身体がほてってしんどい。夜はテラスでバーベキューのまねごとをしたあと、風呂に入ったら膝から下が真っ赤に焼けていた。ひごろから船で釣りをするので手は焼けてもだいじょうぶだ。釣りのときは夏でも長袖のTシャツに長ズボンだから、焼けるのは手だけ。下腿が日光に晒されたのはひさしぶりだ。相方はわたしよりひどく下腿が焼けている。

つぎからは上半身と同じように下半身も水着のうえにタイツ型のUV対策衣料を着なければならないと痛感。

海水浴は浜にいるだけでもかなり堪えますわ。

朝の涼しいうちに宿題しなさい2017/07/13 23:37

この時期になるとときどき思い出すのである。

昨日も亡父の法要に行った慈願寺さんのすぐ近くに小学校4年生まで住んでいた。いったん発展していまはまた下降線になっている多くの街と同じく、半世紀以上前のおもむきはほとんどないが、しかし道の配置には大きな変化はないので、ついその小学生のころを思い出すことがある。

おそらく今より真夏でも涼しかったと思うが、それでも夏休みは暑い日々だった。クーラーなどというものは、都会の大きなビルや百貨店くらいにしかなく、音の大きな扇風機や、店舗では氷柱を置いてあったりしたころ。そういえば家の並びに氷屋さんがあった。冷蔵庫が電気式ではないので、氷屋さんが冷蔵庫用の氷を配達したりしていた時代だ。

で、夏休みになると母にたたき起こされるのである。

「早く起きて涼しいうちに宿題しなさいっ!!」

『夏休みの友』が必須の宿題だった。中身は忘れたが毎日コツコツと開いて書くような内容だったと記憶している。それをわたしは夏休みのはじめのほうに一気にやってしまって、あとのほうは遊ぶ。そのやりかたはまもなく古希のいまでも同じようにやっているように思える。

親の躾や教育はたいしたものだと思う。

祥月命日と誕生日2017/07/12 22:54

明日7月13日は亡父の祥月命日、2000年に亡くなったので、もう17年もたつのか。そのころわたしは51歳。まだまだ元気やったなあ。父は仕事ほぼ現役で亡くなったので、通夜葬儀では数百人のかたがお悔やみに参列してくださって、高齢の母に代わって若輩のわたしが喪主代理を務めたことを鮮明に覚えている。

今日は1日早いのだが、お寺で法要をしていただいた。年に一度、父を偲ぶ行事はできるうちはしようと思っている。

そして、明日は、その戌年の父の生まれ変わりかもと思うフレブル恬の誕生日でもある。13歳になる。フレンチブルドッグとしては長寿になるのではないだろうか。しかも変形性脊椎症はあっても内科的には問題なく誕生日を迎える。ちなみに、そのフレブル恬がわが家にきたのは、新潟県中越地震がおきた2004年10月23日だ。

お寺での法要のあと、同じ市内にあるお墓に参る。ちょうど正午近くになっていて、いやはやこの時期の霊園にこんな時間に行くものではない。法要のためにスーツにネクタイのままお墓に行って草ひき。あかん、危ない。

早々に退散していつも立ち寄る道の駅でランチ。

帰宅してから職場に出向いて事務処理をする。

疲れた。

阪神間に乗る2017/07/10 21:06

県医師会の会議に出席するため午後からJRで三ノ宮へ出向いた。

前回の会議が市医師会のそれとバッティングしたので欠席したために、4ヶ月ぶりくらいの三ノ宮行きである。

県医師会には必ずJRを使う。川西池田駅前に車を置いて、尼崎乗り換えで新快速だ。新快速にこだわるのは、早く着くからではなく、新快速が列車線(*1)を走るからである。列車線だとちょっとした旅行気分になる。

高校のころはよくこの線に乗った。当時は国鉄。まだまだ旧型のチョコレート色の電車(*2)、新快速はもちろんなかったが、いわゆる「急電」の時代は終わっていた。勾配が前後にある甲子園口駅では旧型国電はしばしばオーバーランしバックでホームに戻っていたが、そんなことがニュースになるような世知辛いことはなかった。

そして、半世紀の時と阪神淡路大震災を経て、東海道線の沿線の風景は激変した。そもそも東海道線ではなく神戸線などと言われている。しかし、山はほとんど変わっていない。尼崎を出てしばらくすると武庫川を渡り、わたしの好きな甲山(かぶとやま)が見えてくる。お椀を伏せたようなきれいな山体。

そのあと六甲山脈がずっと続いて、布引が見えてきたら三ノ宮。なじんだ景色だが、スマホを見たり読書したりすることなく、いつも車窓の景色に見入っている。

並行している民鉄がある。阪急神戸線は山に近すぎるし、阪神本線は遠すぎる。やはり東海道線がいい。

(*1)京阪神間のJRは複々線で、外側が列車線、内側は電車線。普通と快速は電車線を走るが、新快速や特急、貨物列車は列車線を走る。
(*2)わたしがいちばんなじんでいたのは、40系
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8440%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
だったか。

段取りの組み立てが…2017/06/22 22:04

午前中からの訪問診療はとくに問題なくきちんと順序立てて回ることができた。件数がすこし多かったので、正午を大きく回ってしまったが、そんなことはよくあることだ。

いちど診療所に戻って、午後からの用件のために再出発したのだが、それらを終えてじつはなんという段取りの悪さだったかと反省している。ちょっとボケてきたのではないか、なんと無駄な動きをしてしまったのか。

何軒かの患者さんに居宅療養管理指導をお願いしている薬局が2軒、医師会、市役所の福祉事務所、川西警察署、車のディーラーを回るのだが、途中で忘れ物をしたり、あとで思い出して同じ行き先に二度行くことになったり、時間切れしそうであわてなくてはならなかったり、ほんらいは木曜日の午後はけっこうゆとりの時間なのに仕事を終えたのは17時近くになっていた(早いやないかいなということはさておいて)。

最短の移動で最小限の時間で行動する段取りを組み立てることにはそれなりの自信があったのだが、その自信もちょっと崩れそうになった一日。

聖地巡礼ではないが2017/04/26 22:55

わたしはけっこう長らく奈良県と大阪府南部で過ごしてきた。北摂にきたのは30歳台の後半なので、ちょうど半々くらいになる。

今日はちょっとした用件で堺市や岸和田市方面を走ってきた。もちろん町のようすは変わっているが、地名には若いころの思い出がいろいろ詰まっていて、まるで最近はやりの「聖地巡礼」みたいな気分である。ある時期にとくに堺市内は遅くまで走り回っていたりしたのである。

もっとも、阪神高速堺線やその続きの国道を走っていると、これらのインフラはもう半世紀ほどたっているものなのだと気づく。もちろんメンテナンスはされていると思うが、現実問題として走っていて湾岸線にくらべて古さは感じる。地震はだいじょうぶか、とか。

それはともかく。

岸和田の山手のほうはわたしの記憶ではほんとの田舎だったのだが、阪和道岸和田ICができていまや全国にある幹線道路沿いの平凡な風景になっていて、またそれらが中途半端に進化が止まった状態にみえる。今後は衰退しかないかとちょっと残念と思ったり。

そこそこの雨の遠出は疲れた。

ひどくひさしぶりに奈良の山のほう2017/04/19 22:20

ぽっかりと予定のない水曜日になったので、ふと思いついて、先日(4月17日)のテレ朝「報道ステーション」で初登場の西川のりおさんが大雨のなか中継されていた佛隆寺のサクラを見にいくことにした。おそらく先日の嵐でもう花は散って人出も減っているかとの思惑もあった。

というのも、奈良県立医科大学出身で、奈良県や吉野方面に詳しいわたしも知らなかったお寺があったことが悔しいという気持ちがあって、どんなところか行かねばという気持ちがあった。

で。

行ってみるとテレビの影響力を舐めていたとおおいに反省。おそらくふだんは静かな山里、道路は狭いし駐車場はすくないところに、けっこうな車が集まっていてちょっとしたパニックになっていた。宇陀市の職員さんたちが整理をしておられたが、慣れていなさそうだし無線などもすくなさそう。

だいぶ離れたところにあったオヤジさんの土地に500円で駐車させてもらって歩いて到達できたが、平日でこれだと週末はどうなるのだろうかとひとごとながら心配になる。

サクラは、たしかにじつに見事なものだった。

帰路は吉野方面。かつて大学の同級生の実家があってよく遊びに行っていたところや、町立大淀病院に勤務しているときにうろついていたあたりを走る。さすがに40年以上たつと景色が激変していた。

懐かしいところを走り回ってちょっと若返った気になった一日。230Km。

食べるということ2017/03/22 23:01

わたしは部分義歯を使ってる。そもそもが歯周病の悪化でボロボロと歯が抜けたことが原因である。内臓系はきわめて丈夫なわたしだが、歯と副鼻腔が弱点である。

その、現用で調子よくいっている義歯がトラブッた。連休だったので、修繕していただくまでしかたなく前に使っていた義歯を復活させたのだが、やはり以前のもので、いまのわたしの歯の状況には合っていなかった。

昨夜くらいから、噛むことがひどく苦痛になっていて、夕食はなんとか食べたのだが、今朝はもうしゃべるのもつらいほどになっていて、けっきょく朝食はとれなかった。

もともと一日や二日の絶食くらいでは「腹がへったな」という気持ちくらいで、体力的にはどうということがないわたしなので、朝食がとれない、あるいはそのまま夕食も無理かなというくらいではどうということはないのだが、しかし痛いのは嫌だ。

トラブッた義歯が夕刻に治ってきて、それをつけたとたんにウソのように楽になった。

夕食は空腹に復讐するがごとくたくさん食べた。それにしても、食べるということの重要さ、そこにはちょっとした義歯の違いですら関係しているということを実感した数日である。

こんなことは若いころには想像すらできなかった。専門職としていまさらながら不明を恥じるのであった。