コードブルー・コードレッド ― 2018/08/15 22:38
用件があって大きな総合医療センターにいた。
院内の食堂で昼食をとっていたら「コードレッド」の一斉放送があった。「コードブルー」ほど知られていないし、別の意味で使われている病院もあるかもしれないが、重症外傷患者が救命救急室に搬入されるときに、院内の外傷に関係したいしやスタッフが救急室に参集するとともに、手術室や集中治療室が受け入れ準備をする合図である。
わたしが勤務医のころは一瞬で伝わるこういう決めごとはなかった。
しばらくして「xx病棟コードブルー」とのアナウンスもあった。スタッフは階段やエレベーターで急行しているのだろう。その様子を想像していたら、ふと45年前に勤務していた国立病院のことを思い出した。
その病院は旧陸軍病院で、木造二階建ての病棟がまだ何棟もあり、しかし敷地はとんでもなく広かった。外来棟にいて離れた病棟からいまでいう「コードブルー」で呼ばれると、100メートルくらいある渡り廊下を全力ダッシュしなければならなかったのだった。まあそのころはまだわたしも25歳だったからねえ。
大きな病院にくると浦島太郎状態になるろーとる開業医である。
院内の食堂で昼食をとっていたら「コードレッド」の一斉放送があった。「コードブルー」ほど知られていないし、別の意味で使われている病院もあるかもしれないが、重症外傷患者が救命救急室に搬入されるときに、院内の外傷に関係したいしやスタッフが救急室に参集するとともに、手術室や集中治療室が受け入れ準備をする合図である。
わたしが勤務医のころは一瞬で伝わるこういう決めごとはなかった。
しばらくして「xx病棟コードブルー」とのアナウンスもあった。スタッフは階段やエレベーターで急行しているのだろう。その様子を想像していたら、ふと45年前に勤務していた国立病院のことを思い出した。
その病院は旧陸軍病院で、木造二階建ての病棟がまだ何棟もあり、しかし敷地はとんでもなく広かった。外来棟にいて離れた病棟からいまでいう「コードブルー」で呼ばれると、100メートルくらいある渡り廊下を全力ダッシュしなければならなかったのだった。まあそのころはまだわたしも25歳だったからねえ。
大きな病院にくると浦島太郎状態になるろーとる開業医である。