メキシコの地震2017/09/20 22:32

それにしても。

同じ日に大きな地震が起きるとは、偶然とはいえなんだか背筋が寒くなる。

http://www.sankei.com/world/news/170920/wor1709200012-n1.html

32年前の大地震の記憶はあまり鮮明ではないが、あった事実は覚えている。そもそも今のように情報があちこちからリアルタイムで届いたり、鮮明な映像記録、とくに揺れているさいちゅうや建物が倒壊する瞬間などの映像は皆無であったころだ。思い返せばパソコン通信前夜くらいだったか。

ちなみに阪神淡路大震災はインターネット前夜であった。

それでも今回もアマチュア無線では短波帯のある周波数が非常通信用として全世界的にオープンされていて、それについては32年前と同じはずだ。

プレートに起因する地震はカリフォルニアからメキシコ、チリまでの帯状に起きるが、太平洋海嶺を挟んで日本列島弧からインドネシアまでも同じだ。ちょっと薄気味悪い。

またうねるかな2017/08/28 22:30

颱風15号(サンヴー)が小笠原の南に発生して北上するようす。この経路はまたまたうねりがおきて海に出られないパターンであり、それが今週末に重なりそうな気配だ。陸で遊ぶ算段を考えておかなくてはならない。

そういえぱこの金曜日は防災の日であった。

白浜での防災体制の再確認をしておかなくてはならないので、天気が悪いときにそれをあてようか。

颱風5号2017/08/07 22:37

さすが迷走颱風である。

奄美付近にいるときは、九州に上陸して中国地方を横断というのが予想中心進路であったのに、時間がたつにつれて予報円の東より南よりになった。

週末に白浜に帰ったとき、早々と古賀浦に避難してきている漁船を見て、いやあそれはないやろと思っていたのだが、そこはやはりプロだった。もろに紀南から紀北に上陸したんだから。

こちらも仕事が午後にかからないように、ひさしぶりに朝早くから出勤してもともとは午後にするつもりだったレセプト請求作業を前倒しするなど「対応に追われた」。

それでも午後3時近くまで診療所で仕事をして帰ったが、さいわいにも北摂ではちょっとした低気圧ていどの影響だった。夜になってぐっと涼しくなったのが嬉しい。

早くに帰って時間があったので、夕食後に録画してあった「シン・ゴジラ」をようやく鑑賞。颱風が本邦を縦断している夜に「シン・ゴジラ」を見るのもなかなかのものであった。映画を見ながら6年半前の3月のできごとがフラッシュバックしたのだが、それでよかったのかな。

波の音2017/08/04 23:27

夜。

静かになると眼下の江津良の浜から波の音が聞こえる。しかし、海が穏やかなときはほとんど聞こえない。自分の耳鳴りだけだ。

風があって、風波が激しいときは、せわしない波の音が響く。騒がしい。

昨夜からは、そういう波の音ではなく、ボリウムのある間隔の長い音が聞こえている。はるか南の海で暴れている颱風5号が送り込んでくるウネリによる波の音である。

とおくの颱風のウネリは海面だけみているとあまり荒れているようには見えない。しかし浜や岩場に近づくと一気に海が盛り上がって盛大に白波が破裂する。青空の下での磯での激しい波はかなり怖い。

今夜。

低周波が勝つ波の音が下から響いてくる。

201703112017/03/11 22:52

午後から畑仕事をしていた。小さな耕耘機を使っていてエンジンの音でつい聞こえなくなりそうだったが、14時45分ごろに白浜町の防災同報無線で311の放送が流れた。1446に黙祷しましょうという内容であった。もちろん放送にあわせて1分間の黙祷を捧げた。

毎年の今日は振り返るようにしている。南海東南海地震が「明日来るか」と思いながらも、さいわいにも紀南は無事である。ありがたいことに船で出てマダイをいっぱい釣ったりしている。

しかしながら、この日が近づくと、食事に行っているお店でも常連さんたちと「いざ」の話題になるのである。わが家はおそらく地震と津波には大丈夫だと思われるが、そのあとは孤立する恐れがある。わが家のある丘は30m近い高さがある。しかし、建っている場所は半島の先のほうで、本土(?)に行くには津波被害を受けた地域を通らなくてはならないのだ。そこをすんなり車で通れるとは思えない。

311発災のとき、わたしたち夫婦は田辺市内に買い物に行っていた。あれが南海東南海だったら、わたしたちは家に戻れない。船で釣りをしていたら、津波に呑まれていたかもしれない。

運はじつに紙一重である。

合掌。

アマチュア無線など2017/01/31 22:50

20歳をすこし過ぎたころにアマチュア無線の免許をとってJR3ASXのコールサインを得た。その後JR3GQIというコールサインも持った。それ以前はいわゆる違法CB無線で遊んでいたのだが、合法局になってそちらからは足を洗った(笑)。

奈良県と大阪府でそのころ普及しだした144MHzのFMを中心に楽しんでいたが、古い局長さんたちからは「電話ごっこ」とバカにされたりもしていたものだ。それでも徐々に運用を拡げていて、FT101などという名機を手に入れて短波帯で海外局との交信も楽しんでいたころが最盛期だったか。

社会人になって仕事が多忙になったが、ともかくいわゆるモービルハムに活路を見いだして、移動中に交信することでアクティビィティを維持していたが、さらにまたいろいろな事情でほとんで電波を出すことがなくなり、そのうち無線局免許状の更新もしなくなって、いわば「廃局」状態になっていた。

勤務医を卒業して開業したころ、終身免許である無線従事者免許が残っているところから、無線局免許の復活を目指していろいろ苦労はしたが無事にJR3ASXを再指定してもらうことができた。

浦島太郎状態であったが、その後デジタル通信を中心に再チャレンジして、いまは3.5MHzから1200MHzまでのすべての電波形式の免許を受けている。

しかぁし、である。

若いころのように、無線でよしなしごとを交信するというのがあまりおもしろくないのである。何をしゃべる? この歳になるもともと「人嫌い」のわたしには、ネットのSNSよりももっとリアルタイムの時間と対応を強いられる無線通信が負担に感じてしまうのである。

かつては車に3本4本もアンテナを立てて、家でもなんとかアンテナを設置していたのだが、まあ今の車は無線機やアンテナを取り付けにくいこともあるので、まったくやっていない。D-STARというデジタル無線のシステムがよくできているので、車にも職場にも対応のハンディ無線機を持っているが、なかなかそれでしゃべるということもない。

アマチュア無線に限ったことではないが、人との繋がりのハードルを自分で上げてしまっていることも関係があるのかもしれない。なんらかの大災害のときのためにというように自分の意識が変化しているのが本音のところではある。アマチュア無線の理念から逸脱しているのではあるが。

無線機、ざっと数えたら8台くらいあるのだが、持ち腐れだなあ。

阪神淡路大震災の日に思う2017/01/17 22:30

22年前はまだわたしも若かった。だから発災から時間を経ずに勤務先の病院に向かった。すくなくともわたしは足手まといになるとは思わなかった。当時はまだボランティアという言葉も一般的ではなかったし、医療の支援も組織的ではなかった。すでに在宅医療をしていたが、ひとりで淡々と患家の無事の確認をした。

6年前の東日本大震災では、阪神淡路などの経験から次第に確固としたものになっていた医療チームが活躍したし、組織的にボランティアも活動した。しかし、医学部や大手病院が組織する救命救急のDMATはおろか、医師会が主導する医療の後方支援のJMATにさえわたしは手上げできなかった。気持ちはあったが自分の体力を考えるとかえって迷惑をかけると思った。かつてのアウトドア大好き人間も、その後の堕落で安楽椅子人間になってしまっていたのである。

いまもし阪神淡路クラスの災害があったら、地元での活動はなんとか頑張れるだろうが、それ以上のことはやはり無理だと思う。

白浜にいるときに南海トラフ地震/津波が起きたら、医療者としてできるかぎりのことをするつもりだが、しかしまもなくわたしはまた誕生日を迎える。なにができるのだろうか。

緊急地震速報2016/11/22 23:49

東日本大震災以降、スマホのアプリで緊急地震速報のアプリが普及して、しかもわたしらは南海トラフの前線で暮らす時間がけっこうあることもあって、夫婦のiPhoneやiPadやわたしのガラケーにそれらの防災系アプリをインストールしてある。

11月19日正午前の和歌山県南部の地震では白浜の家のリビングですべての端末が微妙な時間差で地震地震地震と知らせてくれた。

今朝の福島沖の地震と津波警報ではやはりほぼ発災時刻に寝室に置いてあるiPhoneが2台とガラケーがやかましく地震地震と喚いた。

ものごころついて半世紀以上になるが、阪神淡路震災以降のような地震の頻発は経験したことがない。いつどこでどんな地震が起きてもおかしくはない、いつどの山でどんな噴火が起きてもおかしくはない、そういう時代になってきたということは受け入れなくてはならんやろなと思っている。

願わくばわたしたちの子孫たちがそのままこの弧状列島で平和に過ごせることを。