防災の日2011/09/01 23:29

今年はけっこうあちこちの行政などが「まじめに」訓練にいそしんだようだ。

いまのところ、東北の津波の映像のインパクトはまだ続いているし、マスコミでつぎの大災害(≒東海・東南海・南海地震)あるいは首都圏直下などと煽るから、そりゃあまじめになるだろう。

しかし、しかしだ。いまだに、和歌山の自治体に比べて、阪神間ではヌルいと感じる。

目の前に大きな海をいつも見ている土地と、じつは海に面しているのに日常的には見えない場所の温度差なのか。今夜のNHKスペシャルでは、そういう感覚に冷や水を浴びせられた格好。

防災の日だ。そして、国は国民を守ってくれない。自分や家族は自分で守らねば。

優先順位は?2011/09/02 20:55

組閣と台風と世界陸上とサッカー。

優先順位はどうなる?

個人的には台風がいちばんの興味だ。夕刻のニュースで白浜の映像が繰り返し出て、インタビューを受けてたのが知り合いのかただったりして、しかし船を置いている港は避難港となっているのでやや安心はしているが、ともかくこんなときに限って帰れないのがつらい。

ちょっとイレギュラーにコースの台風で、今夜から明日にかけてどうなるのか気になるところ。

じつは私はスポーツ系にはあまり興味がないのだ。

長い長~い一日2011/09/04 02:46

※私は今日の後半に個人的には相当に激しい経験をしたが、長々と書いたものを読むかたには興味はないかもしれない。遠慮なく読み飛ばしていただきたい。

朝から降ったり止んだり。隙をみてパートナーがフレブル恬のお散歩。0930、略礼服を着用して川西池田駅まで送ってもらう。電車はいきなり「踏切確認」のためということで遅延。しかし約束の時刻よりかなり早くに本家に着。1100から本家の伯母の十三回忌法要。終えて1230くらいから精進落とし。午後の予定があるので誘いを振り切ってノンアルコールビール。

その会席の間に衝撃の連絡が。白浜に置いている船の係留トラブル発生。詳しいことは船の係留の実際をご存じないと分からないだろうから省略するが、ともかく沈没の危機、そしてそれを田辺海上保安部のかたがとりあえず対応してくださったという。大感謝である。

予定では日曜日にはシンポジウムを聞きにいくつもりであったが、急遽夕刻の用件のあと往診車デミオで白浜に向かう。

以上が前振りだ(笑)。

阪和高速道路は有田以南が通行止めであることは把握。つまり有田から田辺まで国道42号線を走らなければならないことは承知して出た。海南までは「どこに台風あるねん」という穏やかなドライブ。しかし、海南ICすぐのトンネルを出た(つまり山をひとつ越えた)とたんに状況は激変。激しい雨と風。

以南が通行止めの有田ICを出て42号線へ。

そもそも、この悪天候と大雨で、広川町から由良町へ抜けるそこそこ急峻な峠道はだいじょうぶかと心配していたのだが、これがとんでもなかった。それが第一関門。

これだけ切り通しの上から滝のように水が流れ、国道42号線が濁流の川になり、いささか恐怖を感じながらなんとか峠を越える。途中に道路管理のパトカーがいたところは「こんなところ車を通したらあかんやろ」とさえ思ったのであるが、でも私は通してね、と。

キモを縮めながら峠を下ったら、御坊市に入る直前では道路冠水のため片側通行。車内に水が入らないか、エンストしないかと心配しながらの約500m。これは第二関門。雨は激しくワイパーは高速。

夜なので見えないが、太平洋に面した切目海岸に出て、ひときわ風当たりが強いために雨が舞うなかを走る。と、みなべ町西岩出で「大雨通行止」。時間雨量が250mmを越えたかららしい。それならさっきの濁流峠はなんなんだ。これが第三関門。

近くのコンビニで夜明かしを覚悟しつつ休憩。しかしここで教えてもらった迂回路をとるために出発。このころには、紀南の河川のほぼすべてがことごとく洪水危険水位を超えているとの情報が…。

切目川という中河川ぞいに遡上するのだが、カーブを曲ったところで切目川の増水での道路冠水。私の前を走っていた3台は強行突破したが、私は山奥向けて入って戻らねばならなかつたらどうなるかと咄嗟の判断で急停止とUターン。結果的にはこの選択が正解だった。しかしこの時点で第四関門。

ふたたびさっきのコンビニに戻ってこんどこそ夜明かし覚悟。あやうくビールを飲むところを我慢したりしているうちに、代行運転の業者さんの車が目につく。聞けば田辺の車だという。通行止めだがというと、たぶん裏道を行ける。
「ついていってもいいですか」と聞くと快諾もらい、通行止脇からとんでもなくローカルな脇道を走ってこの区間を抜けた。ついていったから抜けたが、道を教えられていても大雨濁流突風暗闇だとさすがの私でも見知らぬ道を走るのは逡巡したと思う。この代行運転業者さんに大感謝だ。

みなべ、田辺、白浜と走っている間も雨はすさまじく激しく、道路冠水というか、降った雨が吐けずに貯まっているというか、そういう中を白浜帰着。大阪市内発1800前。白浜帰着2330。6時間半。

で、船もとりあえずは知り合いのかたの対処が絶妙で無事に浮かんでいた。明日、明るくなってから根本対策することにして九十九さんに出向いて生き返るためのナギサビール。

あ~疲れた。

一種のランナーズハイか2011/09/05 00:10

貴重な経験をしてから一夜明けて、昨日の日記を読み返してみると、けっこうハイな状態だったのではないかと自己診断してしまう。

災害ボランティアに行ったりして、ハイな精神状態になるということは(公的にはあまり触れられていないようだが)、おそらく間違いなくあると思う。

不謹慎と誹られるかもしれぬと承知であえて言うと、非日常の経験はたいていハイになる。自分ではなかなか気づかないようだが、第三者的に見ているとけっこう分かることが多い。

で、だ。

私の昨日の日記。たしかにちょっと命のことも脳裏をかすめるような経験はしたが、しかし、夜が明けて、紀伊半島各地の被害状況を知ると、こんな私のようなのはたいしたことではない。ちょっとハイな書き込みになっていることを反省。

ただ、思い返してみても、自分の命は自分で守るという主張を、すこしは実践できたかな、と。リスクをどう評価して行動判断するかという点の、きわめて初歩的な経験はできたと思う。

しかし、災害現場は、メディアの映像などではぜったい伝わってないことを、じつに身をもって確認ができたことはよかったのである。

冷静に、紀伊半島の災害のこと2011/09/05 21:56

今回の災害で被害を受けられたかたに謹んでお見舞いを申し上げる。

さらに時間がたって、私はほんとに危ないことをしていたのだと思っている。

時間がたつに従って被害がはっきりしてきて、ほんとに未曾有の災害になっていると実感している。

ところで「避難指示や勧告がなかった」ということで、自治体の判断に疑問を呈する報道が増えつつあることにちょっと違和感がある。昨年の兵庫県佐用町の水害のときは、避難しようとして流されて命を失ったかたが続出して、たしかそのときは「避難指示はよかったのか」という論調があったと記憶している。

だれしも、結果を知ったうえでさかのぼって批判するのは簡単だ。医療事故でもそうだが、現に進行している危険に対してどう処理するかは、瞬発的な判断が必要なのだが、それがよかったのかどうか、結果を知ったうえで批判することは慎重にすべきだと思う。

あの豪雨のさなかに車で移動していた私からすると、あの雨のなかで一家で、あるいは年寄りや子どもを連れて、家から避難所まで動くことが簡単に決断できるだろうかということが実によく理解できるのだ。一瞬にして足を取られる恐れがあるような水が道路にはある。しかも夜間の山中だ。

田辺市伏菟野の現場でも避難指示がなかったと言われているが、田辺市の「時間雨量の基準だけで避難指示することになれば全市が対象になっていた」というのは、言い訳には聞こえない。じっさいに視界が10mもないような雨がずっと続いていた。

そして、紀伊半島の山間部を走ったことがあれば気づくと思うが、狭い急な山道の奥に、数軒、あるいは1軒、家があり、高齢のかたが一人で住んでいたりすることが珍しくない。1日数便の、20人乗りくらいのマイクロバスが、デマンドバスとして走っている道路に沿っているところはまだ便利なほうだ。そういうバス道(乗用車でも怖いような道)まで急坂を下りなければならないようなところも少なくない。

避難指示しても、そういうところの住人はどうするのか。今回、避難指示が出ていて、避難できない人たちが取り残されて被害を受けたら、自治体はなぜそういう人たちを助けに行かなかったのかと、メディアは批判するのではないか。

明治の大水害で激甚被害を受けた十津川村が今回もまたたいへんな状態になっている。明治の災害のあと村での生活をあきらめて集団移住したのが、北海道樺戸郡新十津川村→新十津川町であるということはよく知られたことではあるが、紀伊半島の山間部はそれほど急峻なのである。

中央のメディアは、限界集落が多発し、交通インフラが皆無に等しいような地域を、都市部の避難方法と同じようにしか考えていないように見えるのが、災害から2日経ての報道への印象だ。

※このことは、きっと東日本震災の現場についても言えることなのだろう。

なんか脱力してるぞ2011/09/06 22:51

なんか脱力している。

仕事がらみなので詳細を書く気はないが、あっちもこっちもなんなんや、と。

私は脱力してもいいが、あんたらそれがどんな害悪をまき散らすことになるのか、分からぬのだね。

自分がふべて正しいとは私も思ってないが、たまには激怒することもあるのだよ。

呑む。

冷静に、紀伊半島の災害のこと(2)2011/09/07 23:00

ふだんはあまり見ない「報道ステーション」だが、今夜はたまたま映っていて見た。五条市大塔町から徒歩で(ほんまやろな)十津川村に入ったレポートがトップニュースだった。

私はいまだに平成大合併の受容ができていなくて、五条市大塔町と言われても、それは大塔村やろと思ってしまう。奈良在住の河瀬直美監督のデビュー作「萌の朱雀」は北側の旧西吉野村が舞台だったが、大塔村もその環境は似たところだ。

旧西吉野村は紀ノ川/吉野川水系だが、分水嶺を超えて旧大塔村は十津川/熊野川水系になる。国道168号線を南下すると十津川村に入る。大塔村の途中から車は通れなくなっている。映像に流木でダム湖の水面が見えなくなっている猿谷ダムが映る。その後もつぎつぎとよく知っている場所で、元の景色が見る影もなく変わり果てている場面が映る。

東北地方の被災地の映像も衝撃的だったが、すくなくとも私はその景色に馴染みがなかった。しかし今回は、奈良県立の医大で学び、卒後もある時期には今回の激甚被災地に近い吉野郡の病院勤務もしていたので、ともかく景色や地名には馴染んでいるのだ。

報ステのレポーターは、いつものように「見てくださいこの惨状」というノリではあるが、映像の要所要所に「あ、あそこ」という心当たりがあってしまう。

タイトルとは裏腹に「冷静に」見ておれない。

大和八木駅前発(当時は奈良大仏前発)の奈良交通の新宮行き特急バスで何度も紀伊半島の深部に遊びに行っていた若いころがフラッシュバックする。じつは、その当時から国道168号線はそれほど改良されていない。この地域は、つまり「取り残された地」なのである。

明治22年の大水害で集団移住してできた北海道新十津川町は、札幌圏に近くてそれなりに発展したが、実家の十津川村は、けっきょくその当時とそれほど違っていないのではないかと思える。いや、明治のころにはまだもっと若い人たちもおおぜいいたはずだ。今は人口の半分近くが高齢者の村。

消防団員が徒歩で一軒一軒のお宅に食糧を届けている映像を見ていたら、不覚にも涙が出てきてしまった。医局の先輩の診療所はだいじょうぶなんだろうか。

数年前から第二の故郷になった和歌山県側も気になるが、私の社会人としての原点である奈良県南部のことが気になる。

もっと若ければ動くこともできるだろうに、じつにじれったい。

私のいるところが指揮所だっ2011/09/09 00:46

奈良県知事5~6日に上京 警戒態勢中に県トップ不在
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110907/lcl11090723570007-n1.htm

おまえは大統領か。

いまは幸い奈良県とは縁が切れているのでべつにいいのだが、奈良県民のみなさん、とりわけ今回の颱風で被災されたかたがたの気持ちを考えると、ほんとにいいようがない。

つい先日の知事選は、私もよく知っているかたが惜敗して、そのうえ彼はその地位すら現知事派と思われる人たちが追われるようなことになった。いま、その彼が知事だったら、おそらく陣頭指揮のために吉野郡に入り浸りになるほどだったのではないか。彼は東日本震災のあと、自ら支援に東北に入ったほどのかただ。

恥ずかしいでしょうね、奈良県の人たち。荒井知事をしゃにむに支持してきたかたがたの話、聞きたいね。

もともと奈良県では、吉野郡はあまり重視されていない。面積のわりに人口が少ないし、過疎で金食い虫だし…。

しかし、しかし、だ。医者になるのに奈良県の世話になった身としては、こんな知事、あと3年半も放置するのかと言いたいところだが、まあ奈良市議会の議長がワイロに米5年分を提示するような民度のところだからなあ。