冷静に、紀伊半島の災害のこと ― 2011/09/05 21:56
今回の災害で被害を受けられたかたに謹んでお見舞いを申し上げる。
さらに時間がたって、私はほんとに危ないことをしていたのだと思っている。
時間がたつに従って被害がはっきりしてきて、ほんとに未曾有の災害になっていると実感している。
ところで「避難指示や勧告がなかった」ということで、自治体の判断に疑問を呈する報道が増えつつあることにちょっと違和感がある。昨年の兵庫県佐用町の水害のときは、避難しようとして流されて命を失ったかたが続出して、たしかそのときは「避難指示はよかったのか」という論調があったと記憶している。
だれしも、結果を知ったうえでさかのぼって批判するのは簡単だ。医療事故でもそうだが、現に進行している危険に対してどう処理するかは、瞬発的な判断が必要なのだが、それがよかったのかどうか、結果を知ったうえで批判することは慎重にすべきだと思う。
あの豪雨のさなかに車で移動していた私からすると、あの雨のなかで一家で、あるいは年寄りや子どもを連れて、家から避難所まで動くことが簡単に決断できるだろうかということが実によく理解できるのだ。一瞬にして足を取られる恐れがあるような水が道路にはある。しかも夜間の山中だ。
田辺市伏菟野の現場でも避難指示がなかったと言われているが、田辺市の「時間雨量の基準だけで避難指示することになれば全市が対象になっていた」というのは、言い訳には聞こえない。じっさいに視界が10mもないような雨がずっと続いていた。
そして、紀伊半島の山間部を走ったことがあれば気づくと思うが、狭い急な山道の奥に、数軒、あるいは1軒、家があり、高齢のかたが一人で住んでいたりすることが珍しくない。1日数便の、20人乗りくらいのマイクロバスが、デマンドバスとして走っている道路に沿っているところはまだ便利なほうだ。そういうバス道(乗用車でも怖いような道)まで急坂を下りなければならないようなところも少なくない。
避難指示しても、そういうところの住人はどうするのか。今回、避難指示が出ていて、避難できない人たちが取り残されて被害を受けたら、自治体はなぜそういう人たちを助けに行かなかったのかと、メディアは批判するのではないか。
明治の大水害で激甚被害を受けた十津川村が今回もまたたいへんな状態になっている。明治の災害のあと村での生活をあきらめて集団移住したのが、北海道樺戸郡新十津川村→新十津川町であるということはよく知られたことではあるが、紀伊半島の山間部はそれほど急峻なのである。
中央のメディアは、限界集落が多発し、交通インフラが皆無に等しいような地域を、都市部の避難方法と同じようにしか考えていないように見えるのが、災害から2日経ての報道への印象だ。
※このことは、きっと東日本震災の現場についても言えることなのだろう。
さらに時間がたって、私はほんとに危ないことをしていたのだと思っている。
時間がたつに従って被害がはっきりしてきて、ほんとに未曾有の災害になっていると実感している。
ところで「避難指示や勧告がなかった」ということで、自治体の判断に疑問を呈する報道が増えつつあることにちょっと違和感がある。昨年の兵庫県佐用町の水害のときは、避難しようとして流されて命を失ったかたが続出して、たしかそのときは「避難指示はよかったのか」という論調があったと記憶している。
だれしも、結果を知ったうえでさかのぼって批判するのは簡単だ。医療事故でもそうだが、現に進行している危険に対してどう処理するかは、瞬発的な判断が必要なのだが、それがよかったのかどうか、結果を知ったうえで批判することは慎重にすべきだと思う。
あの豪雨のさなかに車で移動していた私からすると、あの雨のなかで一家で、あるいは年寄りや子どもを連れて、家から避難所まで動くことが簡単に決断できるだろうかということが実によく理解できるのだ。一瞬にして足を取られる恐れがあるような水が道路にはある。しかも夜間の山中だ。
田辺市伏菟野の現場でも避難指示がなかったと言われているが、田辺市の「時間雨量の基準だけで避難指示することになれば全市が対象になっていた」というのは、言い訳には聞こえない。じっさいに視界が10mもないような雨がずっと続いていた。
そして、紀伊半島の山間部を走ったことがあれば気づくと思うが、狭い急な山道の奥に、数軒、あるいは1軒、家があり、高齢のかたが一人で住んでいたりすることが珍しくない。1日数便の、20人乗りくらいのマイクロバスが、デマンドバスとして走っている道路に沿っているところはまだ便利なほうだ。そういうバス道(乗用車でも怖いような道)まで急坂を下りなければならないようなところも少なくない。
避難指示しても、そういうところの住人はどうするのか。今回、避難指示が出ていて、避難できない人たちが取り残されて被害を受けたら、自治体はなぜそういう人たちを助けに行かなかったのかと、メディアは批判するのではないか。
明治の大水害で激甚被害を受けた十津川村が今回もまたたいへんな状態になっている。明治の災害のあと村での生活をあきらめて集団移住したのが、北海道樺戸郡新十津川村→新十津川町であるということはよく知られたことではあるが、紀伊半島の山間部はそれほど急峻なのである。
中央のメディアは、限界集落が多発し、交通インフラが皆無に等しいような地域を、都市部の避難方法と同じようにしか考えていないように見えるのが、災害から2日経ての報道への印象だ。
※このことは、きっと東日本震災の現場についても言えることなのだろう。
コメント
_ 99 ― 2011/09/06 13:06
_ wando ― 2011/09/06 16:15
99さん、コメントありがとうございます。
ほんとにいつからこんな国になってしまったのでしょうかねえ。するとけっこう我ら団塊世代が悪い、とか言われてしまうのです。
やれやれ。
ほんとにいつからこんな国になってしまったのでしょうかねえ。するとけっこう我ら団塊世代が悪い、とか言われてしまうのです。
やれやれ。

近年、批判の為の批判が横行していて、悪役をつくり我もの顔のマスコミが世論をあおるという構図。 しかし 残念ながらあとに残るのは世界から置いてけぼりにされつつある稚拙な日本国であり日本人の姿。
常に第三者の目線は必要ですが、日本全体が「家族」であると捉え今こそ協調、協力の時と私は強く願います。