鉄の記憶>城東線2023/08/10 22:40

大阪環状線が完成したのは1961年4月だという(Wikipedia)。わたしが中学生になったころだ。完全な環状運転になったのはそのさらに3年後、そのタイミングで阪神電鉄の伝法線が西九条まで開通して西大阪線となった。さっそく阿倍野の自宅から甲子園の高校に通うのにこのルートを使ったりした。

時代を遡ると、こどものころのわたしの記憶には、城東線の京橋と森ノ宮の間の西側、大阪城天守閣とのあいだに広大な荒れ地があり、多数の壊れた鉄骨の構造物と、今ごろの季節にはうっそうと雑草が伸びているのを、73系などの電車の窓から怖々と見ていたことが残る。

本家のあった片町線の徳庵まで行くのにしばしば乗っていた。片町線はまだ単線であった。

城東線から見えた荒れ地は、旧大阪砲兵工廠、いまは大阪城公園に整備されて賑わっている。

城東線は西成線、大阪港線(貨物線)、関西本線などをつないで大阪環状線になったのである。きれいな323系が走り、西半分では特急と快速が走り回ることになろうとは、半世紀前には想像すらできなかった。