冷静に、紀伊半島の災害のこと(2)2011/09/07 23:00

ふだんはあまり見ない「報道ステーション」だが、今夜はたまたま映っていて見た。五条市大塔町から徒歩で(ほんまやろな)十津川村に入ったレポートがトップニュースだった。

私はいまだに平成大合併の受容ができていなくて、五条市大塔町と言われても、それは大塔村やろと思ってしまう。奈良在住の河瀬直美監督のデビュー作「萌の朱雀」は北側の旧西吉野村が舞台だったが、大塔村もその環境は似たところだ。

旧西吉野村は紀ノ川/吉野川水系だが、分水嶺を超えて旧大塔村は十津川/熊野川水系になる。国道168号線を南下すると十津川村に入る。大塔村の途中から車は通れなくなっている。映像に流木でダム湖の水面が見えなくなっている猿谷ダムが映る。その後もつぎつぎとよく知っている場所で、元の景色が見る影もなく変わり果てている場面が映る。

東北地方の被災地の映像も衝撃的だったが、すくなくとも私はその景色に馴染みがなかった。しかし今回は、奈良県立の医大で学び、卒後もある時期には今回の激甚被災地に近い吉野郡の病院勤務もしていたので、ともかく景色や地名には馴染んでいるのだ。

報ステのレポーターは、いつものように「見てくださいこの惨状」というノリではあるが、映像の要所要所に「あ、あそこ」という心当たりがあってしまう。

タイトルとは裏腹に「冷静に」見ておれない。

大和八木駅前発(当時は奈良大仏前発)の奈良交通の新宮行き特急バスで何度も紀伊半島の深部に遊びに行っていた若いころがフラッシュバックする。じつは、その当時から国道168号線はそれほど改良されていない。この地域は、つまり「取り残された地」なのである。

明治22年の大水害で集団移住してできた北海道新十津川町は、札幌圏に近くてそれなりに発展したが、実家の十津川村は、けっきょくその当時とそれほど違っていないのではないかと思える。いや、明治のころにはまだもっと若い人たちもおおぜいいたはずだ。今は人口の半分近くが高齢者の村。

消防団員が徒歩で一軒一軒のお宅に食糧を届けている映像を見ていたら、不覚にも涙が出てきてしまった。医局の先輩の診療所はだいじょうぶなんだろうか。

数年前から第二の故郷になった和歌山県側も気になるが、私の社会人としての原点である奈良県南部のことが気になる。

もっと若ければ動くこともできるだろうに、じつにじれったい。