鉄の記憶>四ツ橋線2025/06/08 21:43

旧大阪市交通局の地下鉄3号線。わたしがものごころついたころは、大国町と玉出の間を2両編成でホソボソと走っていて、1号線(御堂筋線)の支線然だった。そのわりに大国町駅の規模が大きいなと思っていたら、1965年に大国町と西梅田の間が開通して、1号線とは独立した路線になった。

その後住之江公園まで延長して全通にいたった。この1965年から前の万博の1970年前後は、大阪近郊のあちこちで新線が開通したりして、鉄道でも高度成長期を感じたのだ。

で、この3号線、路線名が「四つ橋」なのに駅名は「四ツ橋」という不思議。なんでも線名は走っている四つ橋筋から、駅名はもともとの地名からということらしい。めんどくさい。

三回目の万博の帰路、編成のなかで混雑する中央線の夢洲寄りを避け、すると自然に混雑する御堂筋線より乗り換えが近い空いている四つ橋線を使うことになった。

四つ橋線は開通直後に高校への通学に使っていたころと同様に、日曜日の夕刻にしては閑散としていて、経営的には困るのだろうが、後期高齢者には過去に浸る時間が過ごせて快適だったのである。

コメント

トラックバック