2025/07/01 21:50

発雷確率が高く、ゲリラ豪雨発生の恐れも大きいと予報されていた今日の北摂。

午後に空が暗くなってきつつあるときに診療所に戻ってきた。よかった雨には合わず、帰所後の雨ですこしは涼しくなると思った。

しかし、期待はずれだった。降った雨は焼きつきまくった地面ですぐに蒸発して涼しくはならなかった。日が暮れてもなお30℃以上の蒸し暑さが続いている。ほんまに梅雨は明けたのだと痛感。

空腹2025/07/02 23:08

昨夜は熟睡できなかった。朝一から市役所でちょっと重い会議があって、午後早くから健康診断を受ける予定になっていた。

健診では胃透視もあるので、昨夜の21時から絶食している。そのまま会議に出て、しかし会議は意外に早く終わった。

中途半端に時間ができた。会議が続いていたら空腹はまぎれたかもしれないが、ヒマになったので、急に、腹が、減った。でもガマンするしかない。

健診が終わって診療所で予定していた面談。

けっきょくそのまま帰宅して夕食をとるまで、ほぼ24時間は水分だけですごしたのだった。ダテに脂肪を蓄えているわけでは、けっしてないのである。

選挙か2025/07/03 22:25

参議院議員選挙が公示されて、街角のポスター掲示板にパラパラとポスターが貼られだした。広い兵庫県の、極東の宝塚や川西は、ポスターを貼るのが遅くなったり貼られなかったりすることがある。

わが県では、いまだ知事選挙での混乱が尾を引いているような気がするので、参議院議員選挙ではあんなことにならないでほしいと思う。

折しも、ふと出してきたタオルは「明るく楽しい兵庫県」という、ある意味では自分に負けて早逝した男が、かつて兵庫県知事選挙に挑んだときのものだった。

ほぼ隠居2025/07/04 23:03

足が攣って寝不足気味ながら、仕事に追われることのない一日が始まってダラダラと寝床ですごしたあと、ちょっとだけ庭仕事を手伝う。

COSTCOで衝動買いした首掛け型の扇風機をつけて多少は涼しいが、それでも汗だくになったのでシャワー。

昼過ぎから上富田の「おおみや」さんに出かけておいしい蕎麦と天ぷらで満足。

すこし買い物をして帰宅後はとろとろと怠惰に過ごす。日が落ちて涼しくなったころから「九十九」さん。

ほぼ隠居のような週末を過ごして、蒸し暑いなどと文句は言えない週末である。

日本消滅2025/07/05 20:53

今日は日本が消滅する日だとかで、とくにホンコンからの観光客が激減しているという。というような伝聞で、ほんとにホンコンから人がこないのかどうか調べるスベがないし、べつにどうでもいい。

日本は、いつどこで大きな地震が起きるかわからないので、それがイヤなら遊びにこなくてもいいし、ましてや不動産を買わなければいいのにと思ったり。

なにはともあれ7月5日は無事に終わりそうである。よかったよかった。

熱気2025/07/06 21:08

午後から要件があって8時すぎに白浜を出て戻ってきた。朝の紀南は陽射しが強い。数日前から大気汚染があって、桜島や新燃岳の噴火の影響ではないかと言われているが「知らんけど」レベルの情報である。

午後の川西は熱気でむせそうだった。こちらも視界が悪い。用件をすませたあと、診療所に行ってレセプト送信作業を。エアコンをつけてもなかなか涼しくならない。ダラッとした私服なのでまだガマンができたが、これからの数カ月をどうするか。

家にもどったらさすがにエアコンが入っていた。やれやれ。

動物霊園2025/07/07 21:51

フレブル恬の祥月命日は7月10日。今年でまる6年になる。

市内にある大きな動物霊園で七回忌の法要をしてもらった。荼毘に付してもらって、その後の法要もしているところだ。

6年前も今日と同じで暑かったな、いや、雨が降っていたのだったかと、人の記憶は曖昧である。というか、ちょっとした喪失感であまりよく覚えていない。

ふといまだに家にいるような気がすることがあるのだ。こんなに暑い日が続くと、とりわけ暑さに弱かったフレブル恬はどうしていたのか、とか。

さて、十三回忌は運転して動物霊園まで行けるのかねえ。

蚊ミサイル2025/07/08 22:48

亡父の祥月命日の法要のために八尾市の慈願寺さんへ。お寺の裏の墓地に両親が入っている合祀墓があって、月に一度はお参りするようにしている。

祥月命日の法要のまえにお墓に参る。覚悟はしていたが、掃除をしているところからずっと蚊の集中攻撃。顔のまわりに無数の蚊が集まってくる。畑仕事に使うネットを持ってくるべきだった。

墓花はこの暑さでおそらく一日ももたないだろうが、お供えしてお寺に入った。歴史のある大きな本堂のなかも、さすがに暑い。

読経だけでそうそうにクーラーの効いた庫裡に移動した不信心な総領息子なのであった。