在宅困難事例2012/02/08 17:52

日記に仕事がらみのことはできるだけ書かないというのを矜持にしてきているが、今日はすこしだけ書いておきたい。それでも、具体的な話にはしないので、なんとなく分かりにくい内容になっていることを最初に謝っておくことにする。

じつは、政策として在宅医療を強力に推進し、それに呼応して「これからは在宅や」という、一種のビジネスチャンスのような空気がますます熟成されつつあるが、実際の現場では、

「急速に、目に見えて、在宅困難な事例が増えてきている」

というのが一致した印象なのである。

私が在宅医療を始めたのは1980年代の後半で、そのころは在宅に関係する種々の制度もインフラもほとんどなかった。そもそも『訪問診療』もなかったので、すべて『往診』で診療報酬を算定していたのである。ちなみに訪問看護が制度として確立されたのは1991年だ。

それでも、その初期の在宅医療は、在宅を望む患者さんとご家族が主体としてあって、それを私たちが支援するという形が自然にあった。

介護保険が始まってからだ。そういう空気が変わってきたのは。

そして、年金制度と同じく、予想できたはずなのに政治が金を惜しんで締めまくったために、介護施設の数は抑えられ、足らなくなって小出しに数量規制を緩めるという、まあ戦術としては最低のやりかたをした(この国はいつもなんでもそうだ)結果、施設は足りず、国交省を巻き込んだ粗製濫造のケアつき賃貸共同住宅でごまかす。それでも足らずに、いわば「あぶれた形で」ムリヤリ在宅療養になっているかたが激増しているのである。

かつて介護保険制度が検討されているころ、私は講演などである点の非現実性を指摘していた。介護職を何十万人と養成するというのだ。正確な数字は忘れたが、それを達成するには就労可能人口から計算して、たしか10人以下に一人が介護職である、そんなことあり得ない、と。

ケア付き住宅が乱立して、そこでのケアの質がどんどん低下していることも問題だが、それは今日のテーマではない。

高齢で認知症のかたの独居、家族がいても仕事の関係などで介護に当たれない、高齢夫婦世帯、認知症夫婦世帯、などなど、綱渡り生活のかたがたが激増だ。

社会全体でみるなどというが、町内全体がそのような地域が拡大しているのである。みることができるコミュニティがそもそも壊れてしまっているのである。そういう現場で、それぞれの専門職がアップアップしているのが在宅療養のいま。

私はもうすぐこの仕事から手を引くからべつにいいけどね。