振子車の快(紀勢本線全通50年)2009/05/29 17:58

 白浜の家に帰るようになってから、しばしば「スーパーくろしお」や「オーシャンアロー」の1号車(パノラマグリーン)に乗っているのだが、下りで1番の座席、つまり運転室の直後のシートに座れたことがなかった。で、今回初体験。

 紀勢西線の新鹿(あたしか)駅と紀勢東線の三木里駅の間がようやく開通したのが1959年7月15日で、思い返せば私が10才で、ちょうど両親や母方の祖父母にしばしば夏の白浜につれてきてもらっていた時期に重なる。祖母の実家は白浜の手前、田辺である。母は1924年生まれなので8才のときの1932年に紀勢西線が南部から紀伊田辺まで開通した。母は、だから子どものころ開通直後の紀勢西線で田辺によく来ていたらしい。

 私のいちばん古い記憶にあるのは、客車準急「くろしお」か「南紀」、阪和線内はEF52が牽いて東和歌山(現・和歌山)でC57に交換、ここから単線で曲線とトンネルの多い紀勢西線に入る。海南を過ぎるとトンネルのたびに窓を必死に閉めるのである。白浜口(現・白浜)まで天王寺から6時間くらいかかったと思う。

 紀勢本線になるすこし前にキハ55のディーゼル準急「きのくに」が登場、スピードアップして快適性が格段によくなり、白浜へ行く機会も増えた。このころ叔父たちはよく夜行で釣りに行っていた。1965年に特急「くろしお」がキハ80系で登場したが、この時期はもう家族旅行をする年齢ではなくなっており、また1968年に自動車免許をとったこともあって一気に車に傾倒、したがって私は特急「はつかり」での印象の強いキハ81ともども、ディーゼル特急「くろしお」の印象はほとんどない。

 そうして昨年からの白浜通いになって、紀伊田辺まで複線電化、新宮まで電化されている紀勢本線に乗りまくることになったわけだ。

 複線電化の部分はかなり線形が変わっていたりして、かつての紀勢西線のなごりは少ない。しかし紀伊田辺を過ぎると一気に曲線・トンネルの連続する古い路線になる。ロングレールも使われていない。ここで振子電車の381系(「くろしお」と「スーパーくろしお」)、283系(「オーシャンアロー」)の本領が発揮される。鉄分の多いニンゲンとしてはとっても楽しいのだが、乗り物に弱い人は酔うらしい。気の毒なことである。

2009年5月29日撮影↓
http://www.youtube.com/watch?v=A9mdOjoczOU