医者になって40年か2013/05/15 22:06

今朝、じつは今日は休みのはずの日だったので、朝寝しようと思っていた。周囲が明るくなってきたころに目覚めてしまった寝床でふと気づいた。

「一ヶ月後くらいに私が医籍登録されてから40年やねんな」

医籍とは、医師国家試験に合格して登録される厚生労働省(当時は厚生省)の医師のデータベースだ。昭和48年6月18日。

思えば良くも悪くもたいへんな変動のあった医療の世界のまっただ中で仕事をしてきたように思う。

医者になって数年のときに勤務していた山間部の町の病院では、救急車がその町立病院に置かれていた。119番すると病院にかかり、救急依頼があると当番の事務職員に連絡して病院に出てきた彼らが救急車を走らせて収容していた。その町には消防組織に救急部門はなかった。それが大都市以外のほとんどの自治体の体勢だった。

しかし、そのころはコンビニ受診も救急車のタクシー利用も野良妊婦もモンスターペイシェントもなかった。もっとも、患者さんの権利が守られていたかというと疑問はあった。

そういう環境がいつどうやって今のようになったのだろうか。

救命救急の嚆矢である某国立大学の特殊救急部の初期から知っている。「特殊」という言葉が、べつのある差別的な地域を連想するといって改名するなど、当時からいまの言葉狩りのようなことはあったがそれはともかく。その特殊救急部は主として重度熱傷の治療で大きな成果を上げていたのと並行して、入院している患者のかなりの割合で抗争で負傷した暴力団員で占められるようなことにもなったことがある。

起床直後に「ふと」思ったものでは重すぎて書ききれない。いつか年表ともどもこの業界の変化の歴史を記録にとどめておきたいものだとは思っているが、対象が大きすぎる。

外科医としてある時期は第一線で走り回ったが、いまや看取り医としてひそかに場を選んでおちついている。

ま、まじめに医籍登録者の仕事をしているので、それでいいとしてください。