番外・10年前の日記2008/01/13 23:38

 ちょっと検索したいことがあって「大阪造兵工廠」をキーワードにしていましたら、10年前の自分の日記
http://www.asahi-net.or.jp/~wu5t-kmnu/1998/199801.htmがヒットしました。あんまり変わったこともしてへんなあ、と。

----ここから引用

1月13日(火)
 わーっ時間がない昼飯を食いそこねそー、ほるそるほるそるメシメシと思いつつ食堂に向かおうとしたとき、事務の女性が「なんとか新聞のなんとかさんからお電話です」という。なぜかは知らないのですが、何かあるとちょくちょく新聞社から電話でコメントを求められることが最近多いので、うーー腹減ったと思いつつも、気軽に電話をとりました。

 すると、某スポーツ新聞の名前を名乗られます。なんぼなんでも医療関係の電話取材をスポーツ紙から受けることはないだろうと、ちょっと警戒モードに入りましたら、なんだか私の出身高校の特集記事がでるので、ついては私の名前と勤務先を掲載させていただけまいかという話。ま、名前や勤務先を勝手に新聞に載せられてはいかんから、その承諾を求めているのだろうかと思いつつ、ふと気がついてしたやりとりが以下。

私「えーと、それお金がなんぼかいりまんのか」
某「あー、ま、新聞とゆーのもいろいろお金がかかりますから」
私「あ、なんや、要するに『名刺広告』っちゅうやつでんな」
某「はあ、まあ新聞もいろいろと…」
私「なんぼでんねん」
某「あのえと、いちおう3万円とゆーことでお願いしています」
私「げーーーーー高ぁ、私ゃ新聞に原稿書いたりしてまっけど、3万円の原稿
料もらおと思たらたいへんやで。3センチ四方くらいで3まんえんでっかぁ。
出すのは渋るけどもらうほうは気前ええんでんなぁ。さんぜんえんぐらいやっ
たら考えてもええけど」
某「…」
私「ま、ちょっと考えさせておくんなはれ」

 会話のなかには同窓生の名前や恩師のことがちりばめられていて、なんとなく断りづらい雰囲気がぷんぷんしていました(すくなくとも普通の人には…)が、某氏は相手を間違ったようです。最終的には私はきっぱりとお断り申し上げました。それにしてもまあいろいろありまんなぁ。

阪急梅田駅

 おそらく阪急梅田駅は日本の民鉄のターミナルとしては最大規模でありましょう。神戸/宝塚/京都の各線が複線で入ってきて、堂々の9線10ホーム。

 ところで阪急の線の呼びかたは昔から「~番線」ではなく「~号線」といいます。その独特の呼びかたと昔の梅田駅の特徴ある女声の案内放送は、かつてキングレコードの鉄道の音シリーズレコードでも収載されていました。

 その録音のころの梅田駅は、いまの梅田駅から梅田地下街へ向かう天井の高い通路の部分、つまりJR東海道線の南側の部分にありました。いまそこでは、なつかしい案内放送の代わりに、曽根崎警察署の「キャッチセールスにご注意」放送がかかっています。かつて神戸線ホームがあったあたりは阪急百貨店の売場になり、お金がかかっていそうなショーウインドウが並んでいます。

 私はしばしば、いまの梅田駅からもともと電車が走っていたJRの高架下をムービングウォークで南下し、この旧駅あとを縦断して地下街に入り、旭屋書店本店やT-zone梅田店やCOML事務所に向かうのであります。

 ついでながら言いますと、梅田駅はこんなに変ったのに、私の家の最寄りの石橋駅は、私が高校のころから基本的にはほとんど変っていないのが嬉しいやら心配やら。

----引用ここまで

 石橋はこのときからまだ変わっていません。東口に「ブックファースト」ができたくらいでしょうか。

コメント

_ 求菩提 ― 2008/01/14 16:52

こんにちは。

そういえば宝塚線では豊中駅など多くが高架のために変わりましたが石橋駅は殆ど変わっていないですね。

宝塚や西宮北口など様変わりの駅も多い中で、石橋や十三など昔と変わらない駅があると妙に安心?しますが・・・。

_ wando ― 2008/01/14 22:20

 そうですね。服部とか雲雀丘花屋敷などもほとんど変わっていません。池田など、車庫のあとのゴルフ練習場もマンションと建売住宅に変わってしまいました。

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