遊牧民と農耕民2011/10/07 21:47

遊牧民はノマドというらしい。最近知った。最近知ったことが恥ずかしいのかどうか分からない。一種の業界内で通じる言葉(符丁といってもいいか)を一般世間に振りかざして悦にいるようなのはじつに嫌いだ。ノマドもそういう言葉のひとつではないかと、勝手ながら判定したのだが、そのようなことはともかく…。

東日本大震災や、それに繋がる福一の事故、さらに紀伊半島の颱風被害などがあって、現場の人たちのご苦労はじつにたいへんだ。お気の毒だと、思う。

で、そういう被災地についての報告をマスメディアで知って、住民のかたがたの、自分の住居とそのコミュニティに対する思いの深さにあらためて思い知らされる。でも、なんでそこまで? と、私は思ってしまうのである。

で、そうか、私はノマドなんだと、なんの説明もなく書くと、なんか偉そうに聞こえるだろう(聞こえないか)。「ノマドは土地に執着しない」とかさぁ。

生まれが八尾の高安。その後八尾本町→大阪阿倍野→奈良県橿原市→大阪府堺市→大阪市阿倍野区→大阪府藤井寺市→大阪府吹田市→大阪府箕面市→大阪府池田市と転々として(でもほぼ大阪中心だけどね)、兵庫県宝塚市でようやくすこし腰を落ち着けたのに、こんどは週のうちに和歌山県西牟婁郡白浜町も出入り。

八尾の高安の生家はとっくの昔に解体され、その後新築した両親の家も両親とも鬼籍に入ってから解体。つまり、私にはふるさとの町は残ってても家はない。その町も高度成長期からバブルを経て高齢化地区になり様変わりしている。そして、懐かしくはあるが、私は八尾の高安にそれほど強い磁力は感じない。

私はノマドだ(笑)。そういえば医大の学生だったころ、尊敬する先輩(肺癌で若くして故人)が私をそういう意味に言ったことがあった。

だから、もし私がいま暮らしている宝塚や白浜に住めなくなったとき、私は「早く家に帰りたい」「ふるさとで暮らしたい」と、たぶん希望しないと思う。ダメならつぎはどこで暮らそうかと、逆に楽しみになったりする可能性が高い。

過去に縛られずに未来に期待したい。今日より明日はなんかオモロイことがあるかもしれない。今に縛られて次に行けないのはアホらしい。

念のために書いておくが、みなさんそうしなさいねとは言わない。できる人とできない人がある。