十年一昔(1) ― 2013/09/30 21:55
2003年10月11日の日記である。この時期は昔や今のように毎日書くというわけにはいかず、そもそもブログというシステムではなのでHTMLページの更新をいちいちしていたので、本業超多忙(というか混乱)で余裕がなかったのだ(たしかそうだったと思う…)。
http://www.asahi-net.or.jp/~wu5t-kmnu/2003/200310.htm
十年一昔という言葉が身に染みる。54歳の後半だった私は、10年ほどいちど自分でやってみようかと唐突に思い立って診療所を開設したのだった。相棒はさらに忙しい晩年を私がすることを懸念したようで「10年」という期限をけっこう言っていたように記憶する。
しかし。
10年なんてじつに早いね。
診療所を「たった一人で従業員なしで」なんて無理無理と専門家からあきれられたが、途中ほんとに忙しいときに相棒の助けは借りたが、しかしたいした問題もなく一人でやってきたのだ。だからどうということはないのではあるけど、でもできるのだよ診療所を医者がたった一人ででも。
開業直後は慣れない診療報酬請求業務で徹夜したり煮詰まったり暴れたり(笑)したが、いまや同じ業務はだいたい15分で終えている。
依頼をどんどん引き受けていたら70件を越えるようになり、おそらくこれが限度ということでお断りする時期もあった。その後は積極的な営業活動をやめることによって、自分のペースで患家に目が届く範囲の診療ができるようになった。
10年間という時間は、自分でいうのもへんだがすごいものだと思う。経験値が大きくなった。70件を越えて引き受けていると一人では診療できなくなって医師を雇う必要ができ、すると経営を維持するために積極的な営業活動が必要になりさらに人員を増やさねば…という蟻地獄になっていたかもしれない。幸いなことに私は自分の身の丈に合う診療をしたいと思い、いまのところそうできているはずだ。
この10年の間、個人的には母の死去という悲しいことがあった。しかし、娘が嫁ぎ孫ができ、縁あって和歌山県白浜町に家を建て、その地であこがれていた船を小さいながら持つことができ、友人と馴染みのお店が増えた。楽しいことのほうが圧倒的に多かった。感謝しなければならない。
最近、相棒から折りにつけ健康・体力の維持に注意を受ける。仕事を縮小して一生懸命に遊ぼうとしたら身体が壊れてたというのは悲しいよと痛いところを突かれる。
ほんまにそうやなと心に染みながら、しかしまた今夜も泡盛「白百合」ロックを片手に書いた日記である。
http://www.asahi-net.or.jp/~wu5t-kmnu/2003/200310.htm
十年一昔という言葉が身に染みる。54歳の後半だった私は、10年ほどいちど自分でやってみようかと唐突に思い立って診療所を開設したのだった。相棒はさらに忙しい晩年を私がすることを懸念したようで「10年」という期限をけっこう言っていたように記憶する。
しかし。
10年なんてじつに早いね。
診療所を「たった一人で従業員なしで」なんて無理無理と専門家からあきれられたが、途中ほんとに忙しいときに相棒の助けは借りたが、しかしたいした問題もなく一人でやってきたのだ。だからどうということはないのではあるけど、でもできるのだよ診療所を医者がたった一人ででも。
開業直後は慣れない診療報酬請求業務で徹夜したり煮詰まったり暴れたり(笑)したが、いまや同じ業務はだいたい15分で終えている。
依頼をどんどん引き受けていたら70件を越えるようになり、おそらくこれが限度ということでお断りする時期もあった。その後は積極的な営業活動をやめることによって、自分のペースで患家に目が届く範囲の診療ができるようになった。
10年間という時間は、自分でいうのもへんだがすごいものだと思う。経験値が大きくなった。70件を越えて引き受けていると一人では診療できなくなって医師を雇う必要ができ、すると経営を維持するために積極的な営業活動が必要になりさらに人員を増やさねば…という蟻地獄になっていたかもしれない。幸いなことに私は自分の身の丈に合う診療をしたいと思い、いまのところそうできているはずだ。
この10年の間、個人的には母の死去という悲しいことがあった。しかし、娘が嫁ぎ孫ができ、縁あって和歌山県白浜町に家を建て、その地であこがれていた船を小さいながら持つことができ、友人と馴染みのお店が増えた。楽しいことのほうが圧倒的に多かった。感謝しなければならない。
最近、相棒から折りにつけ健康・体力の維持に注意を受ける。仕事を縮小して一生懸命に遊ぼうとしたら身体が壊れてたというのは悲しいよと痛いところを突かれる。
ほんまにそうやなと心に染みながら、しかしまた今夜も泡盛「白百合」ロックを片手に書いた日記である。
十年一昔(2) ― 2013/09/30 22:26
おおむち診療所は11年目に突入した。
在宅医療専門に一人で10年運営してきての、あ〜、けっこう独善的、勝手な在宅医療医者の振り返りをしておこうと思う。
昨日も書いたように、一人で70件を越える在宅患者さんを診るのはほぼ不可能だ。もちろん私は年をとって体力気力知力が衰えてきているのでその点の割引は必要だが、現在の40-50件ていどが経営面も含めて最善かと思う。私としては、それ以下になっても私の生活できるとは思う。ただしこの数字は人件費ゼロという状態であるのをあらためて強調しておく。
忙しいとき、私のところでは在宅看取りは年間14件ほどあった。現在はだいたい3-5件ていどを数年維持している。これについては総件数と違って余裕はあると思う。ただ私は「在宅を勧めぬ在宅医」と広言しているように、家族にきわめて大きな負担がかかる在宅看取りについてはかなり幅のある助言をするので、最期を病院でというかたはそこそこ多くなる。
なにがなんでも在宅で最後までというのを医療や介護の側が患家に強制してはならない。しかし、そういう、一種のパワハラ的な診療の噂を聞くこともある。
在宅療養支援診療所の24時間365日対応。これは適正な患者さんの数ならそれほど負担にはならないと経験上からほぼ言える。私が在宅医療に関わりだしたころとそれこそ「十年一昔」x2のような案配で、いまや連絡手段やITCなどのツールが武器になる。
私は11年目以降、さらに仕事は縮小し自然消滅を狙う。私たちの仕事の幕引きにあたって患者さんに迷惑をかけてはならない。だからこれから5年間を目途に自然減を目指す。70歳では訪問診療の負荷はおそらくかなり無理になっているだろう。
24時間365日の拘束より、私は過酷な天候と移動の負担のほうがつらくなると大予想しているのだ。雨の日は動きたくなくなる。真夏の炎天下や真冬の寒風のときは、じつは、つらい。長距離の移動は眠くなる。腰痛もちとしては、頻繁な乗り降りは、痛い。
しかし、私は、サ高住まるがかえで回診して在宅医療だというようなズルはしたくない。つまり自然消滅を目指すわけなのだ。
在宅医療専門に一人で10年運営してきての、あ〜、けっこう独善的、勝手な在宅医療医者の振り返りをしておこうと思う。
昨日も書いたように、一人で70件を越える在宅患者さんを診るのはほぼ不可能だ。もちろん私は年をとって体力気力知力が衰えてきているのでその点の割引は必要だが、現在の40-50件ていどが経営面も含めて最善かと思う。私としては、それ以下になっても私の生活できるとは思う。ただしこの数字は人件費ゼロという状態であるのをあらためて強調しておく。
忙しいとき、私のところでは在宅看取りは年間14件ほどあった。現在はだいたい3-5件ていどを数年維持している。これについては総件数と違って余裕はあると思う。ただ私は「在宅を勧めぬ在宅医」と広言しているように、家族にきわめて大きな負担がかかる在宅看取りについてはかなり幅のある助言をするので、最期を病院でというかたはそこそこ多くなる。
なにがなんでも在宅で最後までというのを医療や介護の側が患家に強制してはならない。しかし、そういう、一種のパワハラ的な診療の噂を聞くこともある。
在宅療養支援診療所の24時間365日対応。これは適正な患者さんの数ならそれほど負担にはならないと経験上からほぼ言える。私が在宅医療に関わりだしたころとそれこそ「十年一昔」x2のような案配で、いまや連絡手段やITCなどのツールが武器になる。
私は11年目以降、さらに仕事は縮小し自然消滅を狙う。私たちの仕事の幕引きにあたって患者さんに迷惑をかけてはならない。だからこれから5年間を目途に自然減を目指す。70歳では訪問診療の負荷はおそらくかなり無理になっているだろう。
24時間365日の拘束より、私は過酷な天候と移動の負担のほうがつらくなると大予想しているのだ。雨の日は動きたくなくなる。真夏の炎天下や真冬の寒風のときは、じつは、つらい。長距離の移動は眠くなる。腰痛もちとしては、頻繁な乗り降りは、痛い。
しかし、私は、サ高住まるがかえで回診して在宅医療だというようなズルはしたくない。つまり自然消滅を目指すわけなのだ。