阪神淡路大震災の日2011/01/17 12:47

 午前5時半ごろに自然に目が覚めた。

 あの朝も今朝と同じように犬が布団のなかにいた。もちろん1999年に亡くなった先代、マルチーズの桃太郎だったが…。

 家族や親しい人は幸い大きな被害を受けなかったが、知り合いの何人かが亡くなり、多くが人的物的に被災された。すでにやっていた訪問診療のために、高い通信料を払っていた携帯電話がたいへん役だったことを鮮明に覚えている。

 最近、なんだかあの時代くらいからこの国が変わっていったのではないかと思えてしまう。あるいは、隠されていた矛盾が明らかになって国や政治が信用できなくなったのかもしれない。あのときいろいろ批判されたメディアのありかたも忘れられたようだ。

 関西の人たちは震災や福知山線事故の記憶が強く残っているが、ほかの地域のかたには数ある災害のひとつのようになっているのではないだろうか。首都圏ではこちらよりサリン事件のほうが印象が強いようにみえる。

 いまや当地でも震災の記憶を呼ぶ場はほとんどなくなっている。当時はバリバリの中年だった私たちも還暦を超えてしまった。

 しかし、私の自宅マンションも白浜の家も診療所も、置く家具はほとんどなく、また水や簡単な食料はつねに用意しているなどの備えはいまだに実行している。大地震に遭ったら危ないなあと心配な訪問診療先だけはどうしようもないのだが。

 この国では、震災当時にも増して、自分は自分で守らなければ国はなにもしてくれなくなっているのだ。16年目の震災の日に改めて心したい。