家訓のようなもの2013/07/15 21:25

私が和歌山県に隠居用の家を建てたのは、母方の祖母が紀伊田辺の人だということがある。先週と今夜のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」が和歌山県湯浅町。出てきた人たちの和歌山弁に違和感がないのは、ルーツの四分の一が紀州であるのと、5年前から週末白浜人であることが原因だというのが大きい。

その田辺の祖母の相方の祖父は、越中富山の人だ。苦労して一代で建築業で財を成し、したがって孫である私は子どものころから経済的には不自由のない生活をさせてもらった。

しかし、戦前からのいわゆる「立志伝中の人」であった祖父と、その祖父に気に入られてその娘と結婚したマジメを絵に描いたような亡父に育てられた初孫/長男である私は、おそらく兄弟従兄弟のなかでも最大限にかわいがられたと同時に、最年長として一種の家訓のようなものを、言葉でなく言霊として伝えられたと思っている。

政治活動はしない。公共事業には手を出さない、賭け事はしない、人に金を貸さない(返してもらえない=差し上げる、つもりならお渡しする)、金品酒池をたからない…。

つきあいにくい一家だったかもしれないが、その祖父が亡くなった年齢に近づいているいま、私はその遺訓をさらに先鋭化しようとさえ思う参院選まっさかりの宵なのである。

なんて、ね。