言われてみれば(川西能勢口)2018/04/13 19:00

facebookの阪急電鉄ファンのグループで、川西能勢口駅に30年ぶりにきたというかたの書き込みがあった。駅の変わりように驚いたと書いておられる。

わたしが川西市にある病院にパート医として出入りするようになったのが1980年代の終わりごろ、つまりいまからちょうど30年ほど前である。

ちょうどそのころから川西能勢口駅の大改造が始まっている。1989年にアステ川西と川西阪急百貨店がオープンして、1990年末に下り線が高架化。2年後に上り線、1996年に能勢電鉄が高架駅になってグランドオープンとなった(以上はWikipediaで確認)。途中で阪神淡路大震災で川西市もそれなりの被害があった。

高架化する前は南北に走る片側1車線の兵庫県道12号線の踏切はたいへん混雑していて、病院への通勤や救急搬送でも難渋していたのも懐かしい。その県道も高架化したあとは片側3車線の立派なものになった。

それによって川西市北部からの通勤客の輸送が大幅に改善されてさらに北部の宅地開発が進んだのであったが、しかしそれから20年たったいま、住民はとうぜん20歳年をとり、いまや川西市は兵庫県トップレベルの高齢化自治体となってしまった。広大な川西能勢口駅とその周辺のインフラをもてあましつつあるように感じる。

言われてみれば30年は長い。

今年の3月18日に新名神高速道路が開通した。これによって北部の自動車交通が便利になったので、今後はすこし状況が変わるかもしれないと期待したい。

わたしは40歳台前半からずっと川西市で仕事をしてきて、しかも団塊世代。なんだか川西能勢口駅といっしょに過ごしているような気になっているかもしれない。出入りする阪急と能勢電の車輌はどんどん更新されているが、それでもまだ30年前から走っている車輌は少なくない。

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