借りより貸し、たかりりたかられ2006/02/14 22:40

 毎日毎日、新聞の社会面やテレビのニュースで汚職事件が報じられています。いまに始まったことではないし、昔は少なかったように思えるのは、表沙汰にならなかっただけなんでしょう。発展途上国や旧共産圏諸国で賄賂が横行しているなどという、蔑んだ記述をよく見ますが、わが国でもたいして違いはないのではないでしょうか。

 私の職種は、いちおう社会的に上の地位だとされ、それなりに経済的にも恵まれていると思われていますし、事実私のような零細事業主でもおそらく世間の標準よりもよい生活をさせていただいています。にもかかわらず、私らの世界でも「たかり」の構造が少なくありません。もっとも、たかっているヒトたちは、それが世にいう「たかり」だとは、おそらくぜんぜん気づいていないようです。私はそれに我慢できません。

 「たかる」ということは、たかられた相手はぜったいに何らかの見返りを期待しているわけで、つまりたかると借りができてしまいます(たかったヒトが自覚しようとするまいと、たかられたヒトは貸しを作ったと、たいていは思うはずです)。私はこの「借り」が嫌なので、借りを作るくらいなら貸しを作ります。ただし、私の場合は見返りは期待しません。そもそもそういう関係のなかで、見返りの目がない状況で貸しを作るというのが、意地悪な私にとっての歪んだプライドだといえるかもしれません。なかでも業者に借りを作るなんて、最も避けたいことで、ときには営業をかけられた相手に食事をおごったりしてしまいます。

 それにしても、私ら医者や、いま問題になっている教職者や、地盤看板鞄のない政治家なんて、百戦錬磨の貸しを作りたい連中からみると、赤子の手をひねるみたいなものなのかもしれません。くわばらくわばら。