天災2008/05/13 22:43

 いかに軍事力で抑圧していようとも、いかに中華思想を頑迷に維持しようとも、天災のもとには無力である。

 ミャンマーのサイクロンと四川省の大地震で、人間の営みなんて屁みたいなもんだとあらためて実感してしまう。被害を受けた一般人民はほんとうに気の毒ではあるが、なんだかちょっと不遜な言葉が想起される。それは「仏罰」。

 きわめて注意深く書いているつもりだが、5月に入ってからの世界を見ているとどうしても…。そうして、それはわが国においても例外ではないかもしれない。まだ今のところは大きな天災は起きていないけれど。

 どうしてもそういうことを考えてしまう、近隣に大雨洪水警報や竜巻注意情報が続々と発令されている初夏の宵。

コメント

_ 二立 ― 2008/05/14 08:42

Wandoさん、おはようございます。
 今回の天災は弱い立場の人が被害をこうむっているようです。高官の邸宅は鉄筋入りで、学校などは「おから」工事だったような話も出ています。
 サイクロンも助けを求めている人に援助が届かないようですし・・・。
 悪いことをしているやつにこそ仏罰がくだってほしいものです。

_ wando ― 2008/05/14 18:45

 直接ではないでしょうが、うちにこもっている民衆の鬱憤がどういう方向に出るか、両国の権力は戦々恐々ではないでしょうか。

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