説明と理解2018/05/01 21:16

わたしの専門外の領域の診療について、わたしの患者さんが受診したときの専門医の説明が分からなかったとわたしにおっしゃる。どういう意味なんでしょうね、といわれても、わたしも分からんやん。

分厚い本をナースに持ってこさせて図を示しながらあれこれ言われたのだそうだ。大きな声で不機嫌そうに、と。理解できたのかと尋ねると、ぜんぜん分からなかったという。分からないといえばよかったのにというと、忙しそうで不機嫌そうなセンセイにそんなこといえません、って。

はいはい、わたしはヒマそうでヘラヘラしとりますけどね、でも専門外で説明できるほど知識もないし理解もできていないのである。もともとわたしが「いろいろ質問してみ」といったので、なんだかそのセンセイにわたしもバカにされたような気がしたのであった。

難しいことをシロウトさんにあるていど理解できるように説明できてこそ本物の専門家だと、わたしは思うのだけど、ご同業のなかには相手さんが首をこっくりされているのは理解し同意しているとほんとに思っているようなヒトたちがいる。なにかあるとそこでのコミュニケーションギャップが医事紛争のタネになったりするのに。

「ささえあい医療人権センターCOML」の創始者の故辻本好子さんは、いまやポピュラーな言葉になった「インフォームド・コンセント」の訳を、世間がいう「説明と同意」ではなく「理解と選択」だと喝破されていた。説明を受けても理解していなければならず、選択肢を提示されなければ同意もできないという、じつにインフォームド・コンセントの本質である。そういえば、この言葉を「IC」などと平然と略している医療者も散見するが、それもいかん。ICはインフォームド・コンセントかもしれないが、インターチェンジであり集積回路であり内頚動脈である。

40年以上もこの仕事をしてきたら、いまの医療の世界はじつに変わったと思う。多くはよい方向に、である。しかしながら、いまだにわたしが医者になったころに「いやな医者」と感じたようなメンタリティのままのヒトも絶滅危惧種として残っていると、ときどき思うのである。はやく絶滅しろよ。

知らんけど。

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